2011年からボートレース関連の仕事をこなすフリーアナウンサーの平井佳織さん(38)はボートファンにもおなじみだ。9歳から子役としても活動し今年は芸能生活30周年という異色の経歴。タレントとしてTBS系「関口宏の東京フレンドパーク2」従業員役で出演したり2019年に免許証の見本写真「日本花子」2代目モデルとなるなど幅広く活躍する。日刊スポーツでは前編、後編の2回に渡り平井アナに子役からタレント活動、ボートレースとの関わり、結婚、出産を経て現在、そして未来へのビジョンを聞いた。
-まずは、これまで携わったボートレース関連で緊張したお仕事はなんでしたか
平井佳織アナウンサー(以下、平井) SGの優勝者表彰での花束プレゼンター(2025年まるがめオールスター)ですね。こんな機会はもう一生ないと思いながら、努めさせていただきました。(優勝した)佐藤隆太郎選手にはプレゼンターが「ちょくちょく見かける人でごめーん!」という感じでしたが(笑い)。がちがちに緊張し過ぎてみんなに「早口になってたよ~」と言われましたね。でもMCというポジションでありながらあの場に立たせていただける機会はなかなかないと思うので、とてもありがたかったです。
あとは、2024年にボートレース大村で行われたSGオーシャンカップのセレモニー進行担当。ボートレースに関わるようになってから先輩方がやっているのを見て、いつかやってみたい。どうしたらあの場所に立てるんだろうと思っていたので、いざその場に立ったら緊張感がすごかった。でも、しゃべり出したら楽しいが勝っていました。ファンの皆さんも、とても温かくて本当に良い経験をさせていただきました。
-では、昔を振り返って子どもの頃のことを教えてください
平井 生まれは神奈川県鎌倉市です。本当にいいところです。でも転勤族で京都と千葉で過ごしたりして小学校は3つ通いました。小学校6年生の秋に鎌倉に戻ってきた感じ。小さい頃は活発な子だったと思います。幼なじみが2人とも男の子なので、とにかく一緒に走り回るみたいな。
-そこからなぜ子役へ
平井 自宅にあったパンフレットを見ると9歳だったので…。1995年頃からですね。当時、子役事務所で有名だった「セントラル子供タレント」に成長記録になればいいな、と母が応募したのがきっかけです。現場には基本1人で行っていて。いろんな現場や大人を見てきたので学ぶことが多かった。『待つのも仕事』と思ってたくさん待ってきたので、我慢強いと言えば我慢強いかな? 忍耐力とかはそこで形成された気がします。
-子役と同時で学業は
平井 学業はきっちりと。そのほかクラシックバレエを習っていました。クラシックバレエは週3~4回だったかな? 発表会前は毎日、夏休みも全部お稽古。学校で部活動には入っていなかったのでここに集中していた感じです。バレエを習っていて良い影響ですか? 忍耐力と観察力ですかね。いつ(役柄に)穴があくかわからないので、何かあったときはいつでも出来るよう、ひそかに準備していました。舞台上は華やかな世界ですが、結構、弱肉強食かなと思います。
-そして大学へ進学
平井 短大に進学してもお仕事は続けていて。この頃、TBS系のバラエティー番組「関口宏の東京フレンドパーク2」アシスタントの話がありました。オーディションは4次か5次まであった気がします。大勢いる中から2人だったので、合格したと事務所から電話があった時はめちゃくちゃうれしかった。続けてきてよかった~、と思えた瞬間でした。
でも、テレビでレギュラーをいただけたのが初めてだったので最初は緊張しすぎて…。収録中に一度貧血で倒れたことがありました。毎回いろんなゲストの方が来るので、失敗しないようにしなきゃ! ちゃんと立ってなきゃ! と考え過ぎた結果、目の前が真っ白になって。もっと楽しんでいいのに、と昔の自分に伝えたいですね(笑い)。1年ちょっと出演させていただきましたが、いまでも(出演された方々やスタッフの方々と)交流があるので、私にとっては本当に大切な番組です。
-その後は別の事務所に移籍されます…
平井 各社のオーディションを受けた時期もありましたけど、なかなかご縁がなく、フリーで活動していた時期もあったりしました。この時も継続していたお仕事があって、それが某企業さんの研修用動画でした。当時からマニュアル動画とか見本みたいなお仕事が多くて(笑い)。でもその現場でいろいろと紹介していただいて、新たな事務所に所属することになりました。
そこから2、3年ほどたったタイミングで、ボートレースに携わる仕事のお話が来て。日本レジャーチャンネル(JLC)で放送されているニュース番組の「お天気お姉さん」オーディションでした。それが2011年ですね。その年の3月から仲間入りだったのですが、確か2回目だったかな、スタジオに向かおうとした日に東日本大震災があって。結局、しばらく中断だったので本格的に関わらせていただいたのはその年の夏ごろからでした。
-ボートレースの仕事を最初はどうやって覚えたのですか
平井 とにかく何もわからなかったので、とりあえずJLCに加入しました。原稿作りも、調べ物も最初から自分。それぞれのボートレース場の水面特徴や方角などはファン手帳とにらめっこしながら確認していました。ボートレース中継のお仕事は、基本全てフリートーク。当時は先輩方の中継を録画して、文字起こしして実際にしゃべってみたり。移動中に録音したものを聞いたりしていました。あとは出てきたワードをノートにまとめて…。受験勉強みたいな感じですかね。
でも、この後もずっとニュースのレギュラーを担当させていただいたのですが、この時の経験が今のお仕事にもつながっていると思います。レース場でのイベントやトークショーは基本的には台本がなく、決まっているのは締める時間くらい。昔はJLCも放送枠が決まっていたのでYouTubeとは違って、時間ぴったりに番組を終了させないといけなかった。なので、自分の中でいかに美しく締められるかチャレンジを毎回したりして(笑い)。内容だけでなくそういった時間管理の部分でも本当に鍛えていただきました。
-未経験だったボートレーサーへの取材。意識したことは
平井 とにかく、あいさつです! 皆さんに覚えてもらえるように、というのは心がけていました。あとはとにかくピットにいて、皆さんがどういう動きをしているか見ていました。専門的なことが分からなくても、選手の皆さんのピットでの過ごし方だったり、何か伝えられることを探していた感じです。あとは解説の方と一緒に行動してわからないことはすぐ聞く。これの繰り返しだったと思います。幸いなことにスポーツ紙の記者さんたちも良くしてくださったので、それも心強い味方でした。
-その頃で印象的だったことは
平井 「お天気お姉さん」を卒業した後、2012年にJLCではガールズチャンネル(現在はレディースインフォメーション)の立ち上げがありました。そのチャンネル専属になり1年ちょっとくらい? 女子戦を回らせていただきました。初めて取材に行けた時はすごくうれしくて。でも、ある開催で、ロッカーをきれいに整理されている選手がいて、少しお話をしたんです。そうしたら「もし(レース中の事故やけがで)帰って来られなかった時に汚かったら恥ずかしいでしょ」と仰っていて。その時に、このお仕事への向き合い方というか意識的な部分で気持ちが引き締まったのを今でも覚えています。
(後編では結婚から免許証見本写真の2代目日本花子モデルの経緯、そして今後のビジョンを語ります)




























