昭和のトップレーサー山口国男氏は、引退後に松戸競輪場のガイダンスコーナーで長らく講師を務めましたが、昨年オールスター終了とともに定年を迎えました。「せめて次のオールスターまで続けたかった」と現在、名残惜しく“第三の人生”を送っています。

 そこで、ニッカンスポーツ・コムは山口氏の無念を晴らすため、WEB限定の特別企画を立ち上げました。

 いよいよ開幕が近づいたG1第59回オールスター競輪(8月11~15日)。舞台の松戸競輪場に山口氏が来場し、毎日、メインレース(ドリームレース、オリオン賞、シャイニングスター賞、準決3個レース、決勝)で入魂の予想を披露します。

 単なる予想ではありません。レース当日に天候、風向き、展開や決まり手などの傾向、といった新鮮な情報をフル活用して車券を検討し、推奨する買い目と根拠を発走間近に公開。前日までの要素しか取り入れることができない新聞とは一線を画し、WEBの強みを生かした「ライブ予想」となります。

 かつてフラワーライン【注】の中枢として、特別競輪(現G1)決勝で次々と秘策を打ち出しては優勝者を生み出した山口氏。松戸バンクを知り尽くした男の勝負勘が、再び大舞台で発揮されます。車券作戦の参考に、ぜひ、ご一読ください。

 【注】70年代から隆盛した競輪選手の一大グループ。当時の絶対王者・中野浩一を打倒するため、山口国男をリーダーとする関東勢が地域の垣根を越えて南関勢、北日本勢らとラインを組んだ。千葉の「房総フラワーライン」で東京、千葉の選手が一緒に街道練習していたことが、結成のきっかけ。特別競輪(現G1)の決勝で数々の作戦を打ち出しては成功し、山口国男の実弟である山口健治をはじめ、清嶋彰一、尾崎雅彦、吉井秀仁、滝沢正光、菅田順和らが続々とタイトルを手にしていった。80年代の末ごろに衰退。

 ◆山口国男(やまぐち・くにお)1950年(昭25)8月11日生まれ。東京都荒川区出身。日本競輪学校24期生、松戸をホームバンクとする東京登録選手として67年にデビュー。特別競輪(現G1)優勝こそ果たせなかったが、72年・高松宮杯と73年・競輪祭で決勝3着に入るなど、トップレーサーとして一時代を築いた。78年・日本選手権の決勝では、直線まで番手絶好という展開に持ち込みながら2着に惜敗。レース後の名ぜりふ「足が三角に回った」(気持ちが先走って足が付いて行かず、力を出し切れなかったことを表現)は、今もファンや選手らの間で語り継がれている。フラワーラインの司令塔としても活躍。01年の引退後、松戸競輪場で競輪ガイダンスコーナーの講師を務め、15年オールスターを最後に定年退職。