競輪×プロ野球- 検車場で感じたつながりを紹介したい。2月中旬の取手競輪だった。開催2日目の昼下がり、検車場へ取材に向かうと長崎勢が集まっていた。S級の西田将士、瀬戸栄作、梅崎隆介、A級の小柳智徳、船倉卓郎の5選手。国見高校サッカー部出身の船倉とは競輪担当になる前から面識があった。「今回は長崎が多いんですよ。なかなか珍しいです。聡史さん(船倉との共通の友人が私を『聡史』と呼ぶため下の名前で呼ばれる)を紹介させてください」と手招きしてくれた。
1人ずつ丁寧に紹介される中で「そういえば、聡史さんは野球担当をやってたんですよね? 西田さんも野球出身ですよ」と“キラーワード”が飛び出した。西田は「日本文理大で野球をしていて、(元巨人の)脇谷亮太さんが先輩です。2年生のときの大学選手権は脇谷さんが1番で僕が2番でした」と教えてくれた。
03年全日本大学選手権は日本文理が、準々決勝で早大、準決勝で東北福祉大、決勝は亜大を破って九州勢初優勝を飾った。この大会で19打数10安打、打率5割2分6厘でMVPと首位打者に輝いたのが日本文理大の主将・脇谷亮太だった。
私が駆け出しだった巨人担当時代に出会い、西武担当に代わったときは脇谷も片岡の人的補償で西武に移籍。現役晩年の巨人時代も、スカウト、コーチ時代も何かと深い縁を感じる。そして、今回の縁もまた記者冥利(みょうり)に尽きる。
西田は「結婚式で2度ぐらい合いましたが、それ以外は会ってないので、たぶん忘れていると思いますよ…。とにかくすごい先輩だったので」と、どこか一線を引いているようだった。
検車場で西田の写真を撮って、「競輪場で脇谷さんの話題が出てますよ」の一文を添えて脇谷に送った。
すぐに返信がきた。「西田!」
後日、西田に伝えると「覚えてくれていたんですね」とここはニンマリ。続けて当時を回想しながら「脇谷さんて今は何をされているんですか。大きくないし、こう言ったら失礼かもしれないけど、そんなに成績も残してないので、なんでこんなに長くプロ野球に関わっていられるんですかね」とここもまたうれしそうだった。
しばらくたって脇谷からは電話がかかってきた。「西田、頑張ってるね。どれぐらいの選手なの? 競輪選手ってだいたい何歳ぐらいまでできるの? いくらぐらい稼げるの? 西田はどれぐらいの選手なの?」。まさに質問攻めだったが「競輪は新米記者なので…。合ってるかどうか分からないし詳しくは…。これから勉強しておきます」と答えるのが精いっぱい。逆に「西田選手はどんな大学時代は選手だったんですか」と問うと「身体能力がすごかったよ。足も速かったし、俺なんかよりもよっぽど能力が高い選手だった」とべた褒めした。
偉大の先輩を語る西田将士(42=長崎)×自慢の後輩を語る脇谷亮太(44=巨人2軍内野守備兼走塁コーチ)- 2人の結節点に関われたことに感謝したい。【為田聡史】























