新田祐大(29=福島)が悲願のG1初制覇(4日制以上)を最高格の日本選手権(ダービー)で達成した。先まくりを放った武田豊樹(41=茨城)を最終バック中団からまくって撃破。ゴール前の平原康多(32=埼玉)との接戦も微差で制し、KEIRINグランプリ(GP)の切符をつかんだ。

 10度目のG1決勝(4日制以上)で夢にまでみたG1覇者に到達した。ゴール前は平原康多、浅井康太にはさまれて大接戦。「浅井さんのスピードがすごかったので大型スクリーンを見た時に、自分かな?」。半信半疑だったが敢闘門で出迎えた先輩たちの表情に「勝ったことを確信した」。

 長い道のりだった。ナショナルチームで活躍するスピードは高校時代から折り紙付き。G1初決勝の08年7月寛仁親王牌では自力勝負で山崎芳仁を優勝に導いた。G1王者の器と評されながらも、過去G1決勝は3度の2着に泣いた。10年に一発勝負のSSカップみのりでG1優勝しているがG1覇者の意識はない。

 11年3月11日-。地元に大打撃を与えた東日本大震災の日は、オランダでの世界選手権へ向け、都内で合宿中だった。精神的なダメージでほんろうされ「散々な成績」。12年ロンドン五輪出場後には意識改革に臨んだ。「五輪を目指して競輪選手になった。でも、日本の競輪で1番にならないと世界のケイリンで通用しない」。

 リオ、そして東京五輪へ駆ける男が、自らに課した大きなハードルをクリアした。昨年のGPは選考10位の補欠だったが、今年は堂々のG1王者として大舞台に臨む。「すでにGPを決めている山崎さん、北日本のメンバーたちと戦いたい」。優勝賞金6510万円は「今まで通り、トレーニングに投資する」。スピードに磨きをかけ、日本の競輪、世界のケイリンを全速全開で駆け上がる。【大上悟】

 ◆新田祐大(にった・ゆうだい)1986年(昭61)1月25日、福島県会津若松市生まれ。県立白河高卒。日本競輪学校90期生で在校52位。05年7月函館でデビュー。10年SSカップみのり、14年G2共同通信社杯V。12年ロンドン五輪チームスプリント8位。通算成績は677戦214勝。通算取得賞金は4億3564万4300円。173センチ、87キロ。血液型O。家族はともこ夫人。