村上は幼い時から競輪選手になりたいと思ってきた。父親が競輪ファンで、幼いときから競輪場に連れられてきた。父親の期待もあってプロになりたいと思うようになっていった。そのときから家族全員がサポートしてくれた。だからこそ「逃げずにやらなあかん」と思って自転車に取り組んだと言う。

 村上 姉はバイトまでして協力してくれました。競輪選手になりたかったのは力で勝負する姿に引かれたから。原点になっているのは滝沢正光(現競輪学校長)さんです。厳しい父親と言える存在で、勝負に対しては特にそうでした。競輪選手になってからは松本さんの姿勢が勉強になりました。何を言われようとぶれることなく、自分のレーススタイルを完成させ45歳でタイトル(04年宮記念杯)を取った。グランプリ初出場の02年は、出場したことより松本さんと走れることの方がうれしかった。

 村上の話には常に父性の存在を感じさせる。そして「先行日本一」と言われるようになるが、その後スランプに突入する。

 村上 04年に大垣全日本選抜の落車で股関節のけがをして、09年までは本当にしんどかった。でも、10年に(実弟の)博幸がG1優勝するまでの近畿の空気は心地良かった。先輩が空気を作らないと若手は育たない。後輩の邪魔をしないように、最後の一滴まで才能を使い切る場を提供したいと思います。

 そして最後にこう締めくくった。

 村上 僕の中のカリスマが松本さんであったように、誰かの中に少しでも「あ~、村上っていたなぁ」と思い出してもらえるような選手になりたい。

 手負いの村上が、近畿の選手とともに牙城を守れるか注目の4日間が始まる。(日刊スポーツ評論家・山口幸二)