脇本雄太(33=福井)が7番手からまくり、4年ぶり2度目の優勝を、大会史上24年ぶり5人目のパーフェクトで飾った。脇本のG1完全Vは19年松戸日本選手権、20年和歌山高松宮記念杯に次いで3度目。脇本から寺崎浩平の番手を奪った松浦悠士(31=広島)が2着、守沢太志(37=秋田)が3着に入った。


史上5人目のオールスター完全優勝を飾った脇本雄太(共同)
史上5人目のオールスター完全優勝を飾った脇本雄太(共同)

どんなに困難があっても、くじけそうになっても、必ず最後にはワッキーが勝つ。自力でも一番強い上に、寺崎浩平という絶好の目標まで得た決勝。戦前から楽勝ムードが漂っていたが「今後の競輪人生のターニングポイントになる」と自身は決死の覚悟だった。


近畿トリオは正攻法に構えた。残り2周で新山響平の上昇を寺崎が猛然と突っ張る。ここまでは予定通りだったが、内から松浦悠士の追い上げを食らい、寺崎との連結を外してしまった。「僕の番手の技量不足が露骨に出た。その後も守沢(太志)さんに当たられ、追い上げることもできなかった」。すんなりいけば楽に勝てるが、絡まれると一気に窮地に立たされる。脇本にとって不慣れな番手戦は、もろ刃の剣だった。


決勝でゴールする1着の脇本雄太(左から2人目)、2着の松浦悠士(右)、3着の守沢太志(右から2人目)(共同)
決勝でゴールする1着の脇本雄太(左から2人目)、2着の松浦悠士(右)、3着の守沢太志(右から2人目)(共同)

しかし「ここで粘っても勝ち目はゼロ。勝てるところから仕掛けよう」と頭を切り替え、自力勝負に転じた。前団では、松浦、新山らが次々と、逃げる寺崎を沈めにかかる。7番手で立て直した脇本は、勝利への執念で大外から豪快にのみ込んだ。「ゴールしても、おめでとうと言ってもらうまでは届いたのか分からなかった」。


決して100点満点の勝ち方ではない。「寺崎君に申し訳ない気持ちが半分ある。普段でも人の後ろを回らないのに、いきなりG1の決勝。プレッシャーもあったし、今後の課題も見えました」。完全無欠に見える脇本が、また強くなる材料を見つけた。【松井律】


 
 

◆脇本雄太(わきもと・ゆうた)1989年(平元)3月21日、福井市生まれ。科学技術高卒。競輪学校(現養成所)94期として08年7月福井でデビュー(予選1着、準決1着、決勝2着)。20年自転車世界選手権ケイリンで銀メダル、21年東京五輪同7位。G1は18年いわき平オールスター、前橋寛仁親王牌、19年松戸日本選手権と20年和歌山高松宮記念杯、前橋寛仁親王牌、今年のいわき平日本選手権に次ぎ7冠目。通算818戦324勝。通算獲得賞金は9億468万8700円。180センチ、72キロ。血液型A。