いつもと違う「特別な」W杯が開幕する。これまでは大会に合わせて中断していたJリーグが全日程を終了。優勝争いや昇格争いでバタバタしているうちに、開幕の日を迎える。W杯の「リズム」は、初の「11月開催」で完全に崩れた。

例年ならば、欧州各国リーグが幕を閉じ、欧州CL決勝が終わって「W杯モード」になる。世界中から代表のニュースが飛び込み、機運が高まって「さあ、いよいよ」となる。しかし、今回は各国リーグを中断して、いきなり開幕。事前合宿もない。「助走」のないまま迎える大会になる。

ケガを抱えたままの選手もいる。一方でリーグ戦の好調のまま大会に臨む選手もいる。コンディション調整は共通したテーマ。どの国も「特別な」大会に向けての準備を強いられる。

ただ、いつもと同じ景色もある。ブラジルがいる。ドイツがいる。アルゼンチンも、スペインも、常連国が顔をそろえる。そして、何より日本がいる。98年フランス大会の初出場以来、7大会連続。全22大会出場のブラジルや18大会連続のドイツは別格としても、連続出場回数でいえば7回はイングランドやフランスと並んで7番目。もはや、日本は立派な「常連国」だ。

初めて生で見たW杯は40年前、82年スペイン大会だった。ジーコ、ファルカンらブラジルの「黄金のカルテット」がイタリアの「黄金の子」ロッシに葬られ、プラティニ、ジレスらフランスの「四銃士」は西ドイツのルンメニゲらの「ゲルマン魂」に屈した。目の前で繰り広げられる死闘は、別世界のものに思えた。

82年大会は、日本代表選手たちも現地で観戦していた。日本にとって、W杯は「出るもの」ではなく「見るもの」だった。「死ぬまでにW杯で日本代表が見たい」は、当時のファンの願い。日本人にとって、W杯はあまりにも遠かった。

カズやラモスが「W杯に行く」と本気で言い、94年米国大会の予選「ドーハの悲劇」で、あと1歩まで迫った。Jリーグ発足でサッカー人気が爆発し、W杯も知られた。そして、20年以上連続出場。W杯はサッカーファンだけではなく、国民の「お祭り」になった。

今の状況を伝えても、40年前のファンは信じないだろう。「死ぬまでに」と言っていた光景が、4年に1回の「日常」になったのだから。そして、世界が注目する大舞台でドイツやスペインと真剣勝負ができる。これも、W杯に出るまではありえなかったことだ。

「特別な」W杯だが、ワクワク感は変わらない。確かに「助走」は短かった。社会的な問題を抱えるカタールで開催すること自体を問題視する声もある。それでも、W杯はW杯。4年に1回、世界中が最も幸せな気分にひたれる1カ月を、存分に味わいたいと思う。