サッカーにはいくつかのスタイルがある。今は日本でも欧州のトップレベルの試合をライブで見ることができる。だから、学生から中高年まで、あこがれるチームスタイルも世界基準になった。ファンは世界を知っている。

 ドイツ代表のような、パワーでボールを前線に運び、球際の強さと、強烈で正確なミドルシュートでゴールを脅かす。そこにドイツの強さがにじむ。一方で、同じ欧州でも、スペインのリズミカルなパスサッカーは創造性にあふれ、見ているファンはその連動性に興奮する。ブラジルはどこまでも自分で切り開いていく個人技があるから、それらを前面に出した独特のサッカーを見せてくれる。その傾向は南米の雄アルゼンチンからも感じ取ることができる。

 その一方で、W杯出場を重ねる中で私の知る限り、近年の日本代表は独自のサッカー観を持たない。持ったことがない。少なくとも、岡田武史監督が2010年にW杯南アフリカ大会でチャレンジしようとした「攻めるサッカー」は、初戦カメルーン戦を前に守備的なシステムに変更になり、日本人による独自の代表サッカー観が見られる好機だった。岡田監督の目指すサッカーで世界と勝負できなかったことで、日本人が作り出すオリジナル第1号とも言える代表チームのスタイルは封印され、決勝トーナメントでパラグアイに敗れ、16強で幕を閉じていた。

 岡田監督以前も、そしてその後も日本協会は初手に外国人監督を選択肢として選考にあたってきた。トルシエ、ジーコ、オシム、ザッケローニ、アギーレと変遷してきたが、当然、そのスタイルに一貫性はない。だから、数年スパンで目指すサッカーは大きく変わってしまう。日本にはベースになるサッカー観がない。それが、すべてにおいて日本サッカーの成長を妨げてきたと、ずっと感じてきた。

 どうして外国人監督に任せるのか。日本サッカーに先進的な考えを注入したと言われているのはドイツ人指導者のクラマーさんだと言われている。クラマーさんの指導を仰ぎ、日本代表は1968年(昭43)のメキシコ五輪で銅メダルの快挙を遂げ、世界の舞台へのチャレンジをはじめた。

 日本サッカー近代化への幕開けを、外国人監督にゆだねたことが、その後の代表チームに大きく影響を与えた。バレーボールでもバスケットボールでも、野球でさえも、外国人監督の力を借りることはある。しかし、サッカーほどすべてにおいて外国人監督が選択肢の初手にくる競技をほかに知らない。

 サッカーは欧州と南米が最先端を行くというサッカー界の常識がある。優れた指導者もその土壌から生まれる。ただ、私たちの日本サッカーは、1993年にオフト監督の元でドーハの悲劇を味わって以来、四半世紀にわたり、加茂体制と2次にわたる岡田体制をのぞいて、外国人監督の指導に任されてきた。

 その過程の中で、鍛えられた選手も多くを学んだはずだし、外国人監督の元でコーチを務めた日本の指導者もいた。

 25年間は何かを学ぶには節目になる時間だろう。ここでいったんは、日本人としての目指すべき形を具体化してはどうか。つまり、多少サッカー強国のまねをしてでも、日本サッカーの目指すスタイルを、日本人の力で具体的に示す作業をしないといけないのではないだろうか。日本人にできるサッカー、そして理想のスタイルを構築するということだ。

 4年前のW杯ブラジル大会で最も心をつかまれたのは、アルゼンチン代表のボランチ、マスケラーノの運動量だった。群を抜いていた。1人の勇敢で疲れを知らないボランチがいることで、チームは見事に機能していた。日本でも井手口の運動量には、マスケラーノ級への期待を抱かせるものがある。試合後半、残り10分から見せる井手口の鋭くキレのあるドリブル、ミドルシュートは世界基準と言える。

 4年前、世界に誇れるスペックとして本田のフィジカル、岡崎の前線からのプレス、内田のスピードがあったが、コートジボワール戦ではどれもが消化不良だった。だが、ドログバと競り合ったからこそ、本田には世界トップの体幹を知り、さらに上を目指すことができた。真剣勝負の場で、世界トップと相まみえないと、本当の立ち位置は分からない。井手口が90分フルに走り回り、ハメス・ロドリゲスとマッチアップし続けてはじめて分かることもある。

 今のこの時を、外国人監督から脱却する大きなチャンスと捉える。個で勝負できる日本人選手は確実に育ってきている。それらを融合し、彼らのアイデアを拾い上げ、今の2018年のリアルな実力を持った選手を組み合わせて生まれるサッカーを、コロンビア相手に見せてみよう。

 2014年のブラジル大会で1-4と惨敗した時と同じ結果になるかもしれない。しかし、物は考えようだ。コロンビアにたたきのめされてから4年。再びコロンビア戦から試練がはじまる。さらに、日本人監督で挑める。これもひとつの巡り合わせか。日本サッカーが先に進むための岐路になるかもしれない。

 私たちがこれから100年先を見越した時、大切な1試合は2018年6月19日のコロンビア戦と言わせるような、個の力をフルに世界にぶつけてもらいたい。

 野球ではWBCで日本が個性ある戦いをしてきた。守備をベースに配球と制球で失点を最小限に抑え、機動力を備えつつ、犠打を織り交ぜながら相手投手を攻略する。そこに賛否両論はあるだろうが、それは高校野球、社会人野球、プロ野球で、何度も使い込まれ、研ぎ澄まされて見えてきたひとつのスタイルになりつつある。パワー、スピードはアメリカ、中南米には劣るが、その中で編み出してきた結晶とも言える。

 そのプロセスをサッカーに応用できない理由はない。外国人監督の知見に触れながら、何よりも選手が多くを感じ取っているはずだ。代表の長谷部や本田、G大阪の遠藤保仁や磐田の中村俊輔らが思い描くサッカーは、いずれ日本のサッカーの大きなヒントになり得る。

 時代はどんどん動いていく。ハリルホジッチを解任したとか、その時期が遅いとか、後任が技術委員長だったとか、そういう議論も楽しいが、コロンビアにいかに挑むか、そこにすべてを集中させたい。勝ち負けの結果がすべてである、その前提を踏まえて言うなら、日本サッカーの分水嶺(れい)として、日本人が日本人の力で挑む世界への初戦となる試合にしなければ。その試合を通して感じる日本人の限界や、目指すべきサッカーの外形が浮かび上がってくるのではないか。【井上真】

 ◆井上真(いのうえ・まこと)1965年(昭40)1月4日、東京・小金井出身。90年入社。野球、相撲、サッカー、一般スポーツを担当。入社当初はプロレス担当。秋田の体育館の倉庫に、ブッチャーとジャイアントキマラに監禁された恐怖体験を持つ。