32歳でJ2水戸とのアマチュア契約を勝ち取った選手がいる。DF近藤慎吾。今季の開幕が差し迫ったタイミングで約2週間の練習参加し、報酬なしでのJリーグ挑戦権をつかんだ。

明大時代はJ2横浜FCの強化指定選手になり、柏からも誘いがあった。大卒でJリーガーになることはできた。ただ、近藤は一般企業への就職を選んだ。

理由は2つ。ひとつは、自信が足りなかったこと。「プロに進む他の同級生を見ると、勝ち残っていけるかなと」。もう1つは、一般企業で働く父を尊敬する気持ちだった。「平日はばりばり働いて、土日は自分をサッカーに連れて行ったりしてくれて。その姿がかっこよかった」。09年の卒業後、野村証券に入社した。

その後もサッカーは関東リーグに所属するエリース東京でプレーを続けた。ただ14年に右膝の前十字靱帯(じんたい)を断裂。約1年間の治療後は母校である明大のコーチとなり、エリース東京の運営にまわった。これが実質の引退だった。

昨年9月にエリース東京側から頼まれて現役に復帰するも、うまくいくか不安はあった。そんな近藤にJリーグへの再挑戦を勧めたのが、日本代表DF長友佑都(32=ガラタサライ)だった。

近藤は14年6月に野村証券から転職し、長友のマネジャーになっていた。昨年11月、トルコ・イスタンブール。同国ガラタサライの長友のもとを訪れていた近藤はふと、長友から「話がある」と声をかけられた。長友の自宅で聞いた言葉は、予想していないものだった。

「近藤、Jリーガーを目指さないか」

冗談だろうと思った。

「そんなの、できんのかな」

さらに言葉が返ってきた。

「俺は、真剣に考えているんだぞ」

2人は明大サッカー部の同級生。長友が1年生のころはスタンドで太鼓をたたく応援役だったことは有名な話だが、上級生になってともにレギュラーを勝ち取った戦友だ。ずっと近くで見ていたからこそ、30歳をすぎてなお、長友は近藤の力を信じていた。マネジャーになったのも、長友から誘われてのこと。親友の力強い言葉に、自分の中でこみ上がるものを感じた。

「そんなチャンスがあるのなら、やりたい」

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契約の発表から約1週間。「当たり前と言われますけど」と笑って前置きし、続けた。

「プロって、厳しい世界です」

練習は約2時間。ただ、水戸の選手はほとんどが練習の2時間前にはクラブハウスに来て準備を始めている。練習後のケアや自主トレを含めれば、帰宅までに7、8時間は費やされる。自宅でも食事に気を使うし、映像チェックを繰り返す。外から見ていたときのに周囲から何度も「プロは好きなことだけやれていていいな」という言葉を聞いた。うらやましさから自身にもあったというこの印象は、すでになくなった。

「サラリーマンは基本的に会社の名前で仕事をするので、自分の名前は出ない。プロは名前を出して、自分の身ひとつでアピールしないといけない」

選手寿命は短いが、終身雇用などない。いつクビになるかわからない中で、毎週の試合のたびに容赦なく評価される。野村証券、長友のマネジャーと会社員の世界を見たからこそ、感じるシビアな部分がある。

そんなサバイバルの世界に飛び込んだからこそ、「今の立ち位置は周りの選手の足元にも及ばない」と痛感している。1つのプレーに対する選択肢の多さ、求められる判断の速さ。「こんなに頭を使うのかと肌で感じている」。サッカーにおいて、全く同じシチュエーションは存在しないと言っても過言ではない。だからこそ臨機応変さが求められる。ポジショニング1つとっても自身の映像を何度も見返し、どうしても悩んだときは長友に電話をかけ、教えを乞うた。1年後の目標は、チームに必要とされて新たな契約を勝ち取ることだ。

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32歳。遠回りな挑戦であることは自覚している。それでも、突き進むのには理由がある。

「同じ世代の多くのサラリーマンの方々がいる。僕のチャレンジに対して、勇気をもらったと言ってくれることも多いんです」

野村証券の社員として働いた約6年間。社会人としてあるべき姿を教えられた。入社後、任されたのは会社のオーナーといった富裕層への営業。1年目のときに聞いた先輩の言葉を覚えている。

「自分の両親が、こうしてもらっていたらいいなと思えるような営業をしよう」

いいかげんな仕事や気持ちは相手に伝わるし、なにより自分が醜い。相手を理解し寄り添うことが信頼関係の第1歩だということを理解し、常に心に置いた。

この思いは仕事の枠を超え、自然と自身の言動の軸になった。野村証券を辞めて長友のマネジャーとなってからも、元クライアントや同僚が気にかけ、協力してくれた。「今になって、しっかり行動できていたのかなと思える部分はあります」。

まずは試合に出ることを当面の目標にする。現在も長友のマネジメント会社の社員として業務はあるものの、すべて練習後の時間帯に回している。

「話題性がある自分をよく思わない人もいると思うし、周りは各世代のトップで勝ち抜いてきた選手ばかり。水戸というクラブに対しても、話題性じゃなくしっかりとした選手を獲得したんだと(周囲から)思われるようにしないといけない」

ピッチで勇姿を見せることが恩返しだ。【岡崎悠利】

◆岡崎悠利(おかざき・ゆうり) 1991年(平3)4月30日、茨城県つくば市生まれ。青学大から14年に入社。16年秋までラグビーとバレーボールを取材。16年11月からはサッカー担当で今季は主に横浜とFC東京、アンダー世代を担当。