日本代表の次期監督に、U-21(21歳以下)日本代表の森保一監督(49)の就任が26日、決定した。

 同日、都内の日本サッカー協会(JFA)で開催された臨時の技術委員会で推挙され、その後、理事会で承認された。20年東京五輪代表監督との兼任で、00年シドニー五輪と02年W杯日韓大会で指揮を執った、フィリップ・トルシエ氏以来の大役を担うことになった。同日夜、都内で会見が行われた。

 森保監督は長崎県出身で、長崎日大高から1987年(昭62)にJ1サンフレッチェ広島の前身の日本サッカーリーグ・マツダに入団。91年にマツダとプロ契約し、翌92年からサンフレッチェ広島となったチームで中心選手となり、主に中盤のボランチとして97年までプレーし、広島の94年Jリーグ・サントリーシリーズの優勝に貢献。92年にオフト監督が率いた日本代表に初招集され、93年10月28日にカタールで行われた94年ワールドカップ・米国大会予選・イラク戦に敗れ、本大会出場を阻まれた、ドーハの悲劇を経験した。98年にオフト監督に請われ、京都サンガにレンタル移籍した。翌99年に広島に復帰後、02年にベガルタ仙台に移籍。主力として活躍したが、仙台はJ2に降格し04年1月に現役を引退。J1通算で293試合に出場し15得点を記録した。

 04年に広島の育成コーチに就任し、同年にJリーグの監督を務めるのに必要なJFA最高位の指導者資格S級ライセンスを取得。翌05年にU-18日本代表、06年にはU-19日本代表、07年にはU-20代表コーチを兼務し、同年のU-20W杯にコーチとして参加。07年9月から広島のトップチームコーチに就任し、10年から11年まではアルビレックス新潟でトップチームのヘッドコーチを務めた。

 そして11年をもって退任したミハイロ・ペトロビッチ監督の後任として、12年に広島の監督に就任。同年に元Jリーガーの監督としては日本人初、1年目の新人監督としては、ヴェルディ川崎(現東京V)を率いて93年に優勝した、松木安太郎氏以来のJリーグ制覇を成し遂げた。13年には史上4人目となるJリーグ連覇を達成し、15年にも3度、年間優勝を決めた。4年間で3度の優勝と結果を出したが、17年は開幕から不振に陥り、2勝4分け11敗で17位となり広島の監督を辞任した。監督としてはJ1通算187試合92勝40分55敗の成績を残した。

 同10月12日に2020年東京五輪を目指す五輪代表監督に就任。そしてW杯ロシア大会を2カ月後に控えた18年4月7日付でバヒド・ハリルホジッチ前日本代表監督(66)が電撃解任され、西野朗監督(63)が就任すると、コーチとなり日本代表の16強進出に貢献した。