日本代表に17歳のMF久保建英(FC東京)が初選出された。日本協会は23日、6月のキリンチャレンジ杯2試合の日本代表27人を発表。スペインの名門バルセロナ育ちで、2000年以降生まれの選手では初の代表入り。DF市川大祐に次ぐ歴代2位の年少A代表デビューが濃厚になった。得点すれば、国際Aマッチ史上最年少記録樹立となる。日本は5日にトリニダード・トバゴ(豊田ス)、9日にエルサルバドル(宮城)と対戦する。久保は24日に発表される南米選手権ブラジル大会の日本代表入りも確実となっている。

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時はきた。久保がついにA代表の扉を開いた。「これまでは、試合が始まったらテレビをつけて見るだけだった。感慨深いものがあります」。ずっと目標の1つにしてきた舞台に、想像より早くたどりついた。「日本を彩ってきた選手が何人も選ばれた。ピッチ内外で、学べるものはすべて学びたい」。引き締まった表情で話した。

最大の武器である個の力、打開力こそ17歳がもたらす新たな可能性だ。「(DFの)間で受けてのドリブルは得意なので、そこを見てもらえたら」。森保ジャパンの顔となった堂安、南野らの連係に、久保がドリブルなど個の味付けをし、可能性をさらに広げる。左サイドの中島に加えチームの新たな矛となりうる。

2年半前。あどけない15歳は、この日と同じように報道陣に囲まれていた。16年11月5日。J3東京U-23の一員として、長野戦(駒沢)に15歳5カ月1日でのJリーグ史上最年少出場。バルサ育ちの逸材のためJ3では異例の生中継。報道陣75社、182人に囲まれたが「今は正直、あまり注目してほしくないなというのもある」。周囲は過熱。比類ない才能は、中学3年生にして、早くも日本サッカー界の将来という重い十字架を背負った。

翌17年にはU-20W杯韓国大会に15歳で選出されたが16強で敗戦。終了直後はピッチで微動だにせず、勝利に喜ぶ相手のベネズエラ代表をにらみ、その目に焼き付けた。「自分なんかに(招集の)声をかけてくれた。チームを勝たせられなくて情けない」。あふれる技術も、フィジカルの差で強引につぶされた。

「こんな思いは2度としたくない」。悔しさにまみれた経験を糧にした。オフも体幹やウエートトレーニングを続けた。東京の下部組織に加入した15歳の時から身長は10センチ伸びて173センチ、体重は15キロも増えて67キロに。当たり負けしない肉体を手に入れ、今季J1では直近2試合連続ゴール。重圧を結果ではねのけた。

早熟の天才-。ちらつきかけたそんな見方を一蹴した。選出で満足はしない。これもまた1つのスタートか? そう問いかけると「これで終わりじゃないと思うので。その通りですね」と返した。心も体も、少年の面影はもうない。東京五輪の星という周囲の期待さえ飛び越えた。そして今、22年W杯カタール大会を目指すA代表の舞台が待っている。【岡崎悠利】