サッカー日本代表(FIFAランキング28位)が、国際親善試合でベネズエラ代表(同26位)に1-4と完敗した。

2-0で勝利したW杯アジア2次予選の敵地キルギス戦から中4日。海外組9人を所属先に返して初招集4人を含めた国内組で底上げを図ったが、代表戦ワーストとなる前半4失点を喫した。国内戦で前半4失点となれば、1923年(大12)5月24日の中華民国戦(大阪市立運動場)以来、96年ぶりの歴史的惨敗。2週間でA代表、五輪代表と計3試合で指揮した森保一監督(51)は敗戦を真正面から受け止めた。

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惨敗だった。前半33分にベネズエラのFWロンドンにハットトリックを献上。38分に4失点目を喫すると、早くも大阪の夜に静寂が訪れた。森保ジャパンのワーストタイとなる4失点で前半終了。早くも響き渡ったブーイングが試合の大勢が決したことを物語った。後半に1点返したが、時すでに遅し。国内戦では96年ぶり前半4失点の屈辱的敗戦に、森保監督は「応援していただいた方々の期待に応えられなくて残念」と硬い表情で絞り出した。

選手のコンディション調整と新戦力発掘などを意図に、キルギス戦から9選手を入れ替えた。先発の顔ぶれは8人代わり、1トップから2トップへ。先を見据えたチャレンジも、開始早々の失点が経験の浅いメンバーから積極性を奪った。相手への距離が詰められずマークは甘くなり、DFラインも後退、自由にボールを運ばれた。攻撃陣も孤立し、連動が生まれなかった。

ハードな日程から大きな成果を得るはずだった。A代表の底上げと五輪代表内の融合を目指し、指揮官はキルギスから帰国後は広島へ直行。MF堂安とMF久保が加わった東京五輪代表の国内初指揮で、五輪本番への手応えをつかむはずだった。

もくろみは崩れた。強豪のU-22コロンビア代表に0-2で完敗。選手たちに「我々が持っている目標(金メダル)が私だけのものなのか、チームで共有しているのか」と覚悟を問うた。その2日後、今度はA代表でベネズエラに1-4。10日間で国内外を6000キロ超を移動して3試合を戦い、計54人を指導したが1勝2敗。「達成できた成果は3分の1。それは1勝2敗という結果を受けて。全て勝つつもりで準備してメンバー編成も考えて臨んだ中2連敗。結果がすべて」。現実は甘くなかった。

今年のA代表の国内最終戦での惨敗にも、指揮官は目を背けなかった。「監督として準備の部分で何か問題があったのではないか。(練習から)もっとクオリティーを求め、試合よりもさらに難しい形でトレーニングをすることが必要だったかな」と反省し、「世界の強豪に勝っていくために超えなければいけない壁、追いつかなければいけない相手の力を感じながら試合ができた。負けて良しは絶対にないが敗戦の中にも成長するものが得られた」と顔を上げた。この試合に招集されずにサウサンプトンに戻った主将のDF吉田は、キルギス戦前に「まだまだ欧州や南米のチームと戦える位置にはいない。いい時こそ律して、さらによくなることを探求して勝ち進めていきたい」と警鐘を鳴らしていた。歴史的惨敗を糧にできるかどうかで、未来は変えられる。【浜本卓也】

 

◆前半だけで4失点 日本が国際Aマッチで前半に4失点は、1954年5月1日にマニラで行われたアジア大会インドネシア戦(試合は40分ハーフ)以来、65年ぶり3度目のワーストタイ記録。54年のインドネシア戦は前半1-4で、最終的に3-5で敗れた。今回のようにホームでは、日本の国際Aマッチ2試合目だった1923年5月24日の極東選手権、中華民国戦以来、96年ぶり2度目。96年前も大阪(市立運動場)開催で、前半1-4、試合は1-5で敗れた。今回の前半のスコア0-4は史上初の屈辱。