名場面に名言あり。サッカー界で語り継がれる記憶に残る言葉の数々。「あの監督の、あの選手の、あの場面」をセレクトし、振り返ります。

 

「僕はチームが下痢の時と便秘の時にだけ使われる」。

Jリーグが開幕した93年、日本代表のFW中山雅史は明るいキャラクターでチームの盛り上げ役だった。当時のオフト監督の下ではベンチスタートが多かった。もちろん、この言葉にチームの輪を乱すような意図はなく、監督の選手起用を批判したというよりは単に「オレを使え」というアピール。いつも以上にひょうきんでカン高い声をあげた。

試合が膠着(こうちゃく)状態の時、勢いよくピッチに飛び出してチームにカツを入れた。スーパーサブの立場でも腐ることはなく、結果を残し続けた。

国際Aマッチでは日本代表歴代11位の21得点を記録しているが、そのうち途中出場で挙げた6ゴールは今も日本代表の歴代最多記録として残る(2位は本田圭佑で5点)。

「何もできない『だ・サブ』にならないように努力したい」と冗談も言っていたが、ゴン中山はまさに日本の切り札。「チョウのように舞い、ハチのように刺す。そう、それが中山雅史」だった。

1993年10月18日、ワールドカップ(W杯)米国大会アジア最終予選の第2戦イラン戦(1-2)。0-2の劣勢で、試合終了間際に1点差に詰め寄るゴールを決めた。喜ぶ間もなくボールを拾ってセンターサークルへ走り、チームを鼓舞した。こうした最後まであきらめない姿勢は、後の年代別日本代表の試合でも何度か見られるようになった。

勝てば悲願のW杯初出場が決まる同28日の最終イラク戦。中山はFWカズ(三浦知良)とともに先発した。1-1で迎えた後半24分、MFラモス瑠偉のパスを受けて勝ち越しゴールを決めた。日本初のW杯出場が大きく近づいた。

だが、その後に中山はFW武田修宏と交代。結局、後半ロスタイムに同点に追いつかれ、ベンチから転げ落ちて悔しがった。