ツネ様はどうして、日本サッカー協会の会長補佐になったのか?

日本サッカー協会は27日に評議員会と理事会を開き、田嶋幸三会長(64)の最終任期、4期目の新体制をスタートさせた。副会長に新たに元日本代表監督の岡田武史氏(65)が就任し、新設の会長補佐には、元日本代表主将の宮本恒靖新理事(45)が国際委員長を兼務する形で抜てきされた。

45歳の若さで、いきなり新設の重要ポジション、会長補佐への就任。新体制発足から一夜明けた28日、長くサッカーを取材する盧載鎭記者がこの人事を解説する。

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解説 宮本氏が新理事になり、新設の会長補佐と国際委員長に抜てきされた。任期は2年。将来の幹部候補として育てたいという、田嶋会長の強い意思が反映された。

宮本氏はアンダーカテゴリーの代表からA代表として2度のワールドカップ(W杯)に出場した。A代表では主将として個性の強いトルシエ監督と選手のつなぎ役も務めた。

現役時代から経済紙を読み、英語が堪能なことなどから「将来はニュースキャスターやクラブ社長、Jリーグや日本協会の幹部になるのでは」と期待されていた。

国際的な経験も積み、オーストリアリーグでのプレー経験がある。引退後は、国際サッカー連盟(FIFA)が運営する「FIFAマスター」FIFAマスター(FIFA大学院)で学びスポーツに関する法律、哲学、組織経営などに関する国際的な知見を得た。指導者としても古巣、ガンバ大阪の監督を経験し幅を広げた。

宮本氏に唯一、不足しているのは経営に携わる機会だ。将来の日本協会幹部として期待している田嶋会長が、自らの補佐として宮本氏を近くにおく。年間約200億円の日本協会の経営を身近で示し、関わる機会を与えることで経験を積ませることができると判断しているようだ。

ただし田嶋会長は、宮本氏へクラブから監督のオファーがあった場合、本人の決定を尊重するとも話している。宮本氏は指導者への魅力を感じており、まだ指導者へのチャレンジをあきらめる年齢でもない。今後の去就は流動的といえる。【盧載鎭】

◆宮本恒靖(みやもと・つねやす)1977年(昭52)2月7日、大阪・富田林市生まれ。G大阪ユースから95年トップ昇格。05年J1初制覇に貢献、06年オーストリア1部ザルツブルク移籍。09年神戸で日本復帰し、11年限りで現役引退。W杯は02、06年大会に出場するなど国際Aマッチ通算71試合3得点、J1通算337試合8得点。15年に下部組織の指導者でG大阪復帰。18年途中にレビークルピ監督の解任を受け、急きょ内部昇格した。トップチームの監督として古巣をJ1で9位、7位、2位と躍進させたが、就任4年目の昨年5月に契約解除。事実上の解任だった。