ボールタッチやパスの1つ1つに、意図があり、思い描くゴールへの道筋が見える-。まだ小学3年生だった久保建英(21=レアル・ソシエダード)のプレーについて、川崎Fの下部組織で指導した高崎康嗣氏(52)はそう表現した。

ボールを扱う「足技」だけを見れば、1番ではなかった。「やわらかさなどは、吉浜遼平(現岐阜)の方がうまかったかな」。しかしサッカーはフェイントがうまい、リフティングが得意、というだけでは成り立たない。「判断もともなうプレーという意味では、並ぶ者はいなかった」。得点という目的へのルートをイメージする力を、当時8歳にして持っていた。

その“イメージ力”が真骨頂だったという。例えば、攻撃の練習。DFをつけ、中盤ではボールタッチは2回まで、敵陣深くに進入できれば制限なしというルールを課したことがあった。少ないタッチ数でどうにかパスを回す味方と、前掛かりにプレッシャーをかけるDF。それを見た久保は、来たボールを相手陣深くまで大きく蹴り飛ばした。前のめりになったDFの裏を取り、走ってボールに追いつき突破してみせた。

本来なら得意のドリブルで仕掛けたい。ただ、自由がないときにどうするか。「そこでスペースを見つけて、大きく蹴って全速力で走るアイデアを見つけた。『こうするとドリブルよりスピードあがるなあ』なんて言っていて。気づきの才能がすごい」。細やかなタッチだけでなく、場合によっては少し大きく蹴ってスペースに走る。今でも時折見せる技術になっている。

小学4年だった11年8月にバルセロナの下部組織に入団しスペインに渡った。その後初めて帰国した12月。川崎Fの練習に参加した久保の、わずか4カ月での変化に驚かされたという。2歳上の6年生に交ざっても、誰も久保を止められない。マッチアップして尻もちをつかされる選手もいた。ボールを持てばバルサでも一級品。スタッフからは「シャビやイニエスタにタッチの質が近い。言うことはない」と賛辞の言葉も聞かされた。

バルセロナではオフ・ザ・ボールの動きを習得すれば、ドリブルはさらに脅威になると見定められた。「(ボールを保持していない時)3メートル以内の範囲で、ステップで3回は動きを変えろ」との課題に向き合った。その後、ボールを受けるまでの準備の動きも成長し、見違えるほど良くなっていた。その1年後、同じスタッフに再会した際に言われた。「タケは必ずプロになれる」。

日本では常に飛び級で世代別代表に選出され続け、17歳だった19年5月に史上2番目の若さで国際Aマッチに選出された。昨夏の東京オリンピック(五輪)では1次リーグで3戦連発と存在感を発揮した。先月27日の欧州リーグでは左肩脱臼も9日のリーグ戦では復帰。積極的にシュートを放ち、攻撃の中心として勝利に貢献した。「ここからはワールドカップ(W杯)に切り替える」と久保。天才少年と言われた男が、ついに初のW杯の舞台に立つ。【岡崎悠利】