【ウォルフスブルク(ドイツ)5日(日本時間6日)=岡崎悠利】サッカー日本代表DF冨安健洋(24=アーセナル)が、新たな守備の柱になる。昨年11月開幕のW杯カタール大会以来となる森保ジャパン参加。度重なる負傷など「サッカー人生で1番タフだった」という険しいW杯イヤーを乗り越え、さらに進化した姿を、前回は後半からの出番だったドイツ戦で示す。

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守備の要が勇躍、カムバックした。W杯カタール大会後の3月、6月ともに負傷の影響で代表参加できなかった冨安が、約10カ月ぶりの活動でいきなりドイツと再戦する。「無失点にこだわるところは、どの相手だとしても変わらない。しっかり達成したい」。次回26年のW杯北中米大会で最終ラインを固めるはずの男が、力強く意欲を語った。

昨冬のW杯直前に右太ももを痛めたが、メンバーに選ばれ、急ピッチで出場にこぎ着けたドイツ戦で恩を返した。後半から出場し、逆転勝利に貢献。W杯本番で、優勝経験国から日本が初めて白星を奪う「ドーハの歓喜」の一員となった。

一方、初のベスト8を懸けたクロアチア戦はPK戦の末に敗れ、吐き捨てるように声を荒らげていた。「大事な試合でパフォーマンスを発揮できない自分に、いら立ちしかない。けがを含めて本当に嫌になる」。

そのW杯を含め、アーセナルで過ごした昨季は次々と見舞われる負傷や重圧にさいなまれた。「今までのサッカー人生の中で1番タフな1年だったのは間違いない。けがもそうだし、サッカー面でも(所属での)要求がかなり高いので、自信を失う時期もあった」。今季の開幕前も、自身の去就を含めて「正直いろんなことを考えた」としつつ「アーセナルでやることは決まったので、要求に応えられるようにやるだけ」。腹を決めた冨安の表情はスッキリと切り替わっていた。

責任感も違う。冨安が長くセンターバック(CB)のコンビを組んできた前主将の吉田麻也はW杯後、招集されていない。主力に成長した板倉と中央を任されることが有力だ。意外にも国際AマッチのCBで同時先発したことはないが、東京五輪世代として共闘してきた。「前々から、ゆくゆくは僕と滉君でやらないといけないと話していた」と共有してきた覚悟がある。

タッグ初戦が因縁のドイツとなれば、より燃える。「いい意味で高いリクエストをお互いに出しながら。妥協せずにできれば、もう1段階、2段階上のレベルに、ディフェンスだけでなくチーム全体が上がれると思う」。日本代表の新たな柱として敵地でドイツをシャットアウトしてみせる。

 

◆冨安の「タフな1年」 21年12月のプレミアリーグ第17節リーズ戦で右ふくらはぎを痛めた。1度は回復も、W杯イヤーとなる22年に入ってすぐの1月に再発。同月と3月のW杯アジア最終予選に参加できなかった。6月の活動は招集されたものの、リハビリだけで終了。W杯前最後の活動となった9月のドイツ遠征では、米国戦に出場もエクアドル戦の前に離脱した。

W杯の開幕が迫った11月3日の欧州リーグ(EL)チューリヒ戦で右太ももを負傷して途中交代。代表でカタール入り後もリハビリが続いた。1次リーグ初戦ドイツ戦こそ途中出場したが、代償で再び別メニュー調整に。第2戦コスタリカ戦は欠場、続くスペイン戦は後半24分から。決勝トーナメント1回戦のクロアチア戦でようやくW杯初先発を遂げたが、大会を通して状態は万全ではなかった。

今年に入っても不遇。3月のELスポルティング戦で右膝を負傷し、ロンドンで手術を受け、約4カ月間の長期離脱を強いられた。