歴代トップも歓喜の瞬間を待つ。セレッソ大阪と川崎フロンターレが初タイトルを争うルヴァン杯決勝(4日、埼スタ)。C大阪は2日、大阪で練習後に決戦の地へ旅立った。V逸の歴史に終止符を打つ時。初代社長でJリーグチェアマンを務めた鬼武健二(78)と現社長の玉田稔(64)に聞いた。

 かつての「鬼」とささやかれた恐ろしさは消えている。しかし、鬼武の時折見せる眼光はいまだ鋭い。「今年の好成績は走るようになったから。違った個性がうまくかみ合っている。尹監督が徹底してやってるからだな」。名門ヤンマーの黄金期を築いた監督で、C大阪の初代社長は尹晶煥監督の手腕をたたえた。

 「若い世代は掘り起こす」信念で、下部組織から選手を育てる下地作りに尽力した。そのための環境作りで「最初の4、5年は借金しかなかった」。集客も少ない。梅田にあった球団事務所を地域密着を掲げて長居へ。「騒音とか駐車の問題とかで(住民に)怒られてよう謝りにいったよ」。それも今は笑い話の愛されるクラブに。足りないのはタイトルだけだ。

 創設当時、鬼武の右腕として支えたのが現社長の玉田だ。しばらくサッカーを離れ、15年2月に社長就任。「火の車やった」という財務と組織のていをなしていない会社の状況に驚いた。「(社員が)どこを向いて働いている? という状況やった」。それまでなかった社員研修や規約作りなど改革に努め、戦える組織になった今がある。

 昨年はJ2からプレーオフを戦ってJ1に復帰した。「その時は気が張ってたんやろね。翌朝、起きた時に泣いたんよ。夢じゃないんや、と」。初優勝の涙も翌朝に流すのだろうか。(敬称略)【実藤健一】

 ◆鬼武健二(おにたけ・けんじ)1939年(昭14)9月19日、広島市生まれ。早大から62年にヤンマーへ。67年に28歳で監督に就任し黄金期を築く。93年に大阪サッカークラブ(C大阪の運営会社)の初代社長に就任。06年から4年、Jリーグチェアマンを務める。