サッカーW杯(ワールドカップ)で2度、日本代表を指揮した岡田武史氏(61)が「監督業」からの引退を決めていたことが8日、分かった。日本代表、Jリーグの監督就任に不可欠な資格、日本協会(JFA)公認S級コーチライセンスを返上したことが判明。W杯は日本が初出場した98年フランス大会と16強入りした10年南アフリカ大会、Jリーグでは横浜時代の03、04年に連覇した名将が去る。後進に道を譲り、会長を務めるJFL・FC今治の経営に軸足を置く。

 日本で最も実績ある「岡田監督」が第一線を退く。まだ61歳と若く、世界ではここから脂が乗るとも言える年齢だが、日本代表、Jリーグの監督を務めるのに必要なS級ライセンスの更新を見送った。13年に中国・杭州緑城の監督を退いてから現場と距離を置いてきたが、正式に引退する。資格だけ維持しておく指導者も多い中、異例のS級“返還”。覚悟の表れだった。

 岡田氏はこの日、事実関係を全面的に認めた。JFLのFC今治-ヴァンラーレ八戸戦(夢スタ)を観戦後、S級の非更新について「そうそう。もう俺は監督やらないと決めたから」と即答した。経緯について「資格を持っていると『俺の方が…』って色気が出ちゃうから」と冗舌に答えながら「監督として、やることはやってきた。俺がまた中途半端に戻るより、若い人がやるべき」と説明した。

 かねて引退を考えながらもS級を維持してきたが、今年に入って具体的に登録抹消の手続きを取った。自ら退会申請書の筆を執って日本協会に提出。「3月末で消えているはず」と既に資格を失った認識でいる。

 これでもう「岡ちゃん監督」が見られない。2度、日本の危機に立ち上がった男だ。日本代表コーチ時代の97年、加茂周監督の更迭を受けてW杯フランス大会アジア最終予選の佳境で監督昇格。アジア第3代表決定戦(ジョホールバルの歓喜)を突破し、初のW杯出場に導いた。本戦前には信念を持って「外れるのはカズ、三浦カズ」の歴史的決断をした。07年には脳梗塞で倒れたオシム監督の後を継ぎ、2度目の緊急登板。また4年かけてチームを成熟させられない中、南アフリカ大会で16強に導いた。

 クラブでは横浜を率いて03、04年にJ1連覇。12年から中国に渡り、杭州緑城の2年間で指導者の海外挑戦に道筋を立てた。FC今治のオーナーは4季目でJ3昇格を目指す。日本人の良さを最大限に引き出す「岡田メソッド」の構築に、日本協会副会長-。活動の幅が広がる中で、自然とサイドラインから遠のいた。

 これで今後、日本代表監督が緊急事態に見舞われても、日本協会は自ら定める規約上、もう岡田氏に頼れなくなった。「早くFC今治の経営を安定させて、のんびり老後を過ごすのが俺のプラン」とおどける岡田氏は、経営者目線でクラブから日本を突き上げる。一方で協会には、後進の育成急務という問題が「岡田引退」で一気に差し迫った。