セルジオ越後氏は1945年、ブラジル・サンパウロで5人きょうだいの末っ子として生まれた。長兄はジョウジ、長姉はトシコ、次姉はカズコと日本らしい名前だったが、3歳年上の次兄はマリオ、そして本人はセルジオとブラジルふうに命名された。第2次大戦の影響もあって、両親が「日本ふうの名では苦労するのでは」と気遣ったと、同氏は解釈している。

実は次兄はケン、本人はヨシオと名付けられるはずで、家庭の中ではその“日本名”で呼ばれていた。母重(しげ)さんは、家の外では「マリア」というニックネームで通していたという。一方、父ヨシアキさんは兵庫・姫路出身で、その縁からセルジオ氏は姫路市の観光大使も務めている。

巡り合わせが変わっていたら、セルジオ氏は剣道を極めて「剣士・越後ヨシオ」になったかも? 仮にそうなら、日本のサッカー界も現在とは異なっていた?

◆セルジオ越後 日系2世で、18歳でブラジルの名門コリンチャンスとプロ契約。同国代表候補にもなった。72年に来日、藤和不動産サッカー部(現湘南)でプレー。78年から「さわやかサッカー教室」を始め、開催1000回以上、延べ60万人以上を指導。その経験から「セルジオ越後の子育つ論」など子育て本も出版。93年4月から日刊スポーツ評論家。06年文部科学省生涯スポーツ功労者表彰受賞、13年外務大臣表彰受賞。H.C.栃木日光アイスバックスのシニア・ディレクター、日本アンプティサッカー協会最高顧問。