国見(長崎)が、4237校の頂点に立った。草津東(滋賀)を3―0と完封し8年ぶり4度目の優勝。総体、国体に続いて「3冠」を達成した。エースのMF大久保嘉人(3年)は前半11分に先制点をマークし、後半33分には20メートルのダメ押し弾を突き刺した。超高校級司令塔は通算8得点で、総体に続く得点王を獲得。高校サッカー界の名将、小嶺忠敏総監督(55)も、同校校長として初めて宙に舞った。

     ◇   ◇   ◇

丸刈り集団が泣いた。大久保が、松橋が、佐藤が顔をくしゃくしゃにした。6試合で16点。屈指の攻撃力で、国見が頂点に立った。総体、国体よりグッと重みのある優勝カップを手にした。大久保が胸を張った。「得点王なんて関係ない。3冠がうれしい。国見でやってきて良かった」。

司令塔が「3冠伝説」へ導いた。ゴールへのきゅう覚で先制点をもぎ取った。前半11分、こぼれ球に右足を伸ばして反応。「試合の流れを変えられる男」によってイレブンが勢いづく。両サイドからの攻撃に、ダブルボランチのミドルシュート。大久保と6年間下宿生活を送るMF川田が追加点を奪うと、3点目は超高校級MFが真骨頂を見せた。後半33分、相手のクリアボールを拾ってステップで1人抜くと、ゴールまで20メートルの距離から右足を振り抜く。DF2人の間をシュート回転で破り、選手権8点目を右サイドに突き刺した。

鋭い切り返しに高速ドリブルもさえたが、実は右ひざは限界だった。溝口チームドクターは「細かいドリブルで無理するから、ひざの外側に負担がかかり筋肉が炎症していた」。テーピングした右足での2発は、大久保だから可能だった。

大久保を含めたイレブンのプレーを支えるのが、80分間走り負けない運動量。学校の裏山には4~12キロまで2キロずつ設定されたランニングコースがある。日が早く沈む冬場は工事用の反射材を身につける。山道を行列になって走る光景に、知らない人は「キツネ火」と見間違うほど。大久保はこの日、一番つらかったことは? の質問に「走ること」と、すぐに答えた。

小嶺総監督の「口説き文句」も効いた。「10月の国体は20世紀最後の大会。今度は21世紀の門出をやろうじゃないか。2世紀にわたって優勝できるぞ」。イレブンのモチベーションを一気に高める一言に乗って、頂点まで駆け上がった。

大久保は三浦淳宏(横浜)らの優勝をテレビで見て国見入学を決意。8年の月日が流れて、同じ背番号10が優勝へと導いた。12歳で福岡県苅田町の実家を離れて国見へサッカー留学した息子に、父克博さん(49)は「自分の子じゃないみたい。よく成長した」と肩をふるわせた。

国見には、選手権優勝年に限って公式戦ユニホームをもらえる伝統がある。国見での汗と涙と泥が染み込んだ青と黄色の縦ジマの10番。大久保は「代表のものより国見のが好きです」と言った。永遠に忘れられない一着を手にした国見イレブンの「3冠伝説」は語りつがれる。【押谷謙爾】

【小嶺総監督舞った日本一の校長!総体、国体で見せなかった涙「うっときた」】はこちら>>

◆原博実の目 将来楽しみな選手が出てきた。国見の大久保は、時代の申し子的な素質を持った選手。今の主流は、前線に2人を張らせる典型的な2トップからセンターFW1人が1トップ気味に動き、その後ろに「セカンドストライカー」と呼ばれる選手が位置するシステムに変わってきている。「セカンドストライカー」は、機を見てゴール前へ飛び出したり、長めからシュートを放つのが仕事だ。大久保の1点目はゴール前への判断の良い飛び出しが生んだものだし、3点目では強烈なシュート力も見せた。2つのプレーで「セカンドストライカー」に必要な能力を証明した。

例えて言えば、ラウルやデルピエロ、そしてトッティ、日本では大久保の入団するC大阪の森島あたりだろう。特にトッティには近い。同じトップ下でもパス中心の中田とは違い、トッティはどんどんゴールを狙う。大久保には、こういうプレーを目指してほしい。

プロでは当たりや展開の速さに何年かは戸惑うだろう。だが、焦らずにやっていけばいい。中田や中村、小野を脅かす選手に成長する素質は十分にある。(日刊スポーツ評論家)