J1北海道コンサドーレ札幌の元日本代表MF小野伸二が背番号と同じ44歳の誕生日を迎えた27日、今季限りでの現役引退を発表した。自身のインスタグラムで表明し、クラブも正式に発表した。W杯は98年フランス大会に日本史上最年少の18歳272日で初出場。02年日韓大会、06年ドイツ大会の3度、大舞台に立った。世界が認めた天才が、プロサッカー選手生活26年目でピッチに別れを告げる。

   ◇   ◇   ◇

天才がピッチを去る。小野が現役引退を決断した。午後2時44分、自身のインスタグラムを投稿した。同3時のクラブからの発表より先に、自ら最初にファン・サポーターに報告したいという思いだった。「サッカーと出会い39年間もの間、僕の相棒として戦ってくれた“足”がそろそろ休ませてくれと言うので、今シーズンを最後に、プロサッカー選手としての歩みを止めることを決めました」とつづった。添えられた写真には過去に所属した国内外全7クラブのユニホーム姿と「THANK YOU」の文字が並んだ。

今季J1で最年長のプロ26年目。慢性的に痛みを抱えていた足首や膝の状態が回復せず、もどかしいシーズンを過ごしていた。公式戦出場は天皇杯2試合のみ。初出場した6月7日の2回戦相模原戦では、ぶっつけ本番で臨み「ピッチってでかいんだな」と、感覚の変化を感じていた。

かつて「チームが契約してくれる限りサッカーをやり続けたい」と、現役へのこだわりを話していた。札幌では精神的支柱。本人が現役続行を希望すれば、まだユニホームを脱ぐことはなかったが、引き際を悟った。関係者によると、このままプレーを続けるとセカンドキャリアにも支障を及ぼす可能性があるほど、肉体的に限界という。ピリオドを打つ覚悟を決めた。

79年度生まれの「黄金世代」を代表する選手。輝かしいキャリアの一方で、ケガにも泣かされた。静岡・清水商高(現清水桜が丘高)から浦和入りした98年、日本史上最年少でのW杯デビューを果たした。99年ワールドユース(現U-20W杯)では準優勝に貢献した。サッカー人生を大きく狂わされたのは99年のシドニー五輪アジア1次予選フィリピン戦。相手のタックルで左膝内側側副靱帯(じんたい)を断裂し、以降故障が続いた。それでも01年にオランダ1部フェイエノールトに移籍し、日本人初の欧州タイトルとなる02年UEFAカップ制覇を経験。ブンデスリーガ・ボーフムやオーストラリア1部ウエスタンシドニーでもプレーし、世界で才能を認められた。

織物のように柔らかく美しいパスはオランダ時代、「ベルベットパス」と評された。吸い付くようなトラップ、自在なボールタッチから繰り出される高精度のシュート。Jリーグに現れた元祖「天才」だった。独特なプレーでサッカーの魅力を体現し、多くの人々を引きつけた。ケガで試合出場の機会が減っても高い技術は健在。「まだシーズン残り数試合ありますが、僕も試合に少しでも関われるように変わらず良い準備をしていきます」と決意を示した。今季最終節12月3日ホーム浦和戦での現役ラストマッチまでに復帰を目指す。古巣相手にプロサッカー選手人生の幕を閉じ、新たな道へ歩を進める。【保坂果那】

○…小野は44歳の誕生日、札幌・宮の沢でランニングなど別メニューで調整した。チームメートや見学するサポーターからの祝福を受け、「今日朝すごいいい天気だったし、当たり前のようで当たり前じゃないこういう日を迎えられるのはすごく幸せ」と笑顔。足首や膝など回復せず、蹴っていても痛みを感じるという。それでも試合復帰に向けて前向きで「足の痛みは今もやっていてもあるけど、付き合いながらできれば」と話した。10月上旬の全体練習合流を目指している。

【写真特集】「天才」元日本代表MF小野伸二、W杯3大会連続出場の司令塔