3日に病気のため75歳で亡くなった清水商(現清水桜が丘)サッカー部元監督の大瀧雅良氏の葬儀・告別式が10日、静岡市の斎場で営まれた。
日本サッカー協会の田嶋幸三名誉会長(68)やJリーグの野々村芳和チェアマン(54)らも駆けつけるなど、教え子や関係者約150人が参列。サッカー界の発展に尽力した名将との最後の別れを惜しんだ。清水商サッカー部OBの前田和哉記者も恩師を悼んだ
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大瀧先生には、サッカー部員として高校3年間指導を受けた。ただ、公式戦出場は片手の指で数えられる程度。主力とはかけ離れた存在だった。数少ない会話は、厳しく叱られたこと。先生の言葉に、ただ「はい」とだけ答えることが大半だったと記憶している。
卒業から数年。縁あって、日刊スポーツの記者として母校の取材に行くことがかなった。紙面の企画で、1対1で2時間以上話す機会を設けてもらったこともあった。「(赴任から)2、3年で結果を出したい」という思いを選手に押しつけ、無理難題を課してしまった指導者としての反省から、お孫さんとのほほ笑ましいエピソードまで。いろいろな話を聞かせてもらった。
そこには在学中に抱いていた「怖い」「厳しい」「鬼」監督ではなく、いつも父のように優しく、温かく迎えてくれた大瀧先生がいた。ちょっとだけ豪華な椅子に腰を掛けながらこちらを見上げ、「おー、前田かぁ」と始まる恩師との会話。私にとっては、青春のような時間だった。
「鼻と口をふさがれてもケツの穴で息をしろ」。「倒れるなら前のめりに倒れろ」。高校時代を振り返った時、印象に残っている大瀧先生の言葉だ。
3日に先生の訃報(ふほう)を聞いた時、インフルエンザで高熱が続いていた。上司からは療養を命じられたが、ボーッとする頭を何とか回転させて原稿を書いた。この先も、どんなにつらくてもやらなければいけない時、踏ん張らなければいけない時はきっとある。「大瀧先生に教わった3年間があったから、やり遂げられました」。次に再会できた時、そう伝えられるように“最後のメッセージ”も胸にとどめておこうと思う。本当に、お世話になりました。【清水商01年卒サッカー部OB】



