4年に1度、世界中が熱狂する「お祭り」がやってくる。JFL鈴鹿ポイントゲッターズのFWカズ(三浦知良、55)はワールドカップ(W杯)開幕翌日の21日、カタールへと飛び立つ。

あの「悲劇」以来29年ぶりに訪れるドーハ。1度も出場しないまま日本におけるW杯の「代名詞」にまでなった男が、夢舞台「W杯」とファンとして応援する「日本代表」への熱い思いを口にした。

日本が初出場してから7回目のW杯。出場はしてないが、ドーハの悲劇、フランス大会の落選の場面など、テレビでは今もカズの映像が流れる。大会が近付きW杯のことを聞かれることも多い。ワクワクが止まらない様子だ。

カズ「いよいよだね。楽しみだよ。サッカー選手なら誰もが憧れる夢の舞台。僕も一ファンとして「見たことのない景色」が見たいね。1次リーグ突破は期待するけれど、それよりも選手には楽しんでほしい。W杯は“お祭り”だから」

日本代表への期待は大きい。ドーハは29年前、W杯初出場の夢を打ち砕かれた悲劇の地。日本代表の指揮をとるのは、ともにW杯を目指した森保監督だ。

カズ「“歓喜を”というのも、あの思いからでしょうね。でも、ドーハがあったからジョホールバル(のW杯初出場決定)があったし、今がある。その前にも長い歴史があった。日本サッカーのDNAは、長友(佑都)や(吉田)麻也たちが受け継いで、次の世代へ伝えてくれているよ」

誰よりも早く、W杯を目指していた。90年7月、ブラジルから帰国したカズは読売クラブ(現東京V)入り会見で「日本をW杯に連れていく」と言い切った。その前年、日本は90年イタリア大会アジア1次予選で敗退していた。「W杯」に現実味はなかった。

カズ「誰も本気にとってくれなかった。記者さんだけじゃなく、協会も。日本協会が無理だと思ったら、無理。日本ではW杯が知られていなかったしね」

90年大会を中継したNHKが「世界最高峰だから」と、決勝戦のゲストに呼んだのが「世界のホームラン王」王貞治氏。今では笑い話だが、それほど日本人には未知の大会だった。しかし、カズは知っていた。

カズ「70年メキシコ大会におやじ(納谷宣雄氏)が行っていて、撮ってきた8ミリを見た。“世界ってすごい、W杯ってすごい、ブラジルもすごい”ってね。

15歳でブラジルに渡り、思いは強くなった。「普段サッカーに興味ない女の子が、負けて泣くんだよ」。憧れは、大きくなる一方。それが「連れていく」になった。94年大会の「悲劇」を経て98年フランス大会に初出場。日本代表からの落選は社会現象となり、日本人にW杯を浸透させた。

カズ「W杯には出ていないけど(帰国会見の宣言通り)連れていくことはできたと思っている。あれから7大会連続。今は代表はもちろん、協会もファンもメディアも、みんな本気でW杯を目指しているからね」

14年ブラジル大会は日本協会のアンバサダー、18年ロシア大会は国際サッカー連盟(FIFA)から招待され、現地に赴いた。今回は大会スポンサー「ハイセンス」のアンバサダーとして観戦。日本ードイツ、ブラジルーセルビア戦を観戦し、レポートするという。

カズ「レポートは無理だよ。自分はサッカーを“やる”専門家で、試合を見て“人のことを言う”専門家じゃない。レポートや解説は専門家に任せて、1ファンとして応援するよ。ブラジルは楽しみだし、セルビアも僕が個人トレーナーを頼んでいる喜熨斗(勝史)さんがいる。スパイクも持っていこうと思う。スパイク履いてなければ、ただのポンコツだから(笑)」

パワハラ疑惑が持ち上がり、ガバナンス問題に揺れる鈴鹿ポイントゲッターズとの契約は来年1月末まで。来季は白紙で「W杯から帰ってから」と話す。半ば冗談で「W杯メンバー落選の時に『置いてきた』と言った魂がさまよって、引退できないでいる」と言われるが「それは絶対に違う」と強く否定する。3歳の時の70年大会から数えて14回目のW杯。大会からパワーをもらって、カズは56歳のシーズンを目指す。【荻島弘一】