代表引退をインスタグラムで先行発表した長谷部誠(34=フランクフルト)が、報道陣の前でも胸中を打ち明けた。「やり切った感覚。選手寿命は延びているので半年後、1年後も十分やれる自信はある。ただ、自分勝手で自分発信もどうかなと思いつつ、大会前に決めていた」と集大成の覚悟で3度目のワールドカップ(W杯)を迎えていたことを明かした。

 06年の初招集から通算114試合2得点。10年大会で岡田監督から任命され、日本初のW杯3大会連続主将になり、最多81試合でキャプテンマークを巻いた。「年々、背負うものが増えて大変だったけど、それ以上に誇りが大きかった。人間としても成長させてもらった」。最も思い出深い試合を聞かれると「1番は思い浮かばない」と、一戦に懸けてきた男らしかった。

 後継の主将候補を問われると「ここで具体名を言うと、いろいろね」と笑顔でかわしたが、次代へのエールは送り「日本サッカーは10年、14年、そして今回と段階を踏めている。若い世代に推し進めてほしい。柔軟性を持ちながら、日本人らしいサッカーを追求してほしい」と期待を込めた。

 西野監督には2日のベルギーとの死闘後、宿舎の部屋を訪れて報告した。「長年リーダーとして、けん引してくれた。ご苦労さま」とねぎらわれ、チームメートには翌日のミーティングで伝えて感謝したという。8年間の主将生活が終わった。肩の荷を下ろしても、ラストW杯の収穫を聞かれると「勇気を持った戦いをして、国民の期待を取り戻せたこと」。最後までキャプテンだった。【木下淳】