さよなら、ペレさん。サッカー界最高の選手で「王様」と呼ばれたペレさん(本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント)が29日、多臓器不全のためサンパウロの病院で死去した。82歳だった。16歳でブラジル代表にデビューし、3度のワールドカップ(W杯)に優勝。1956年から77年までのプロ生活で公式戦1363試合1281得点という大記録を残した。日本など世界中のサッカー界、いやスポーツ界に多大な影響を残した「キング」が、天国へと旅立った。
【ペレさん年譜】
○1940年10月23日、ブラジル南東部ミナスジェライス州トレスコラソンエス生まれ。
○50年 ブラジルは自国開催の50年W杯決勝でウルグアイに逆転負けし、初制覇を逃す「マラカナンの悲劇」を味わっていた。自伝によれば、ショックで泣く父を初めて見た9歳のペレ少年は「いつか僕が父さんにW杯を勝ち取るよ」。
○56年 ブラジルの名門サントスと15歳で契約。デビュー戦で初ゴール。
○57年 7月7日のアルゼンチン戦でブラジル代表デビューし、初ゴール。16歳9カ月は当時の同国最年少出場記録。
○58年 17歳でW杯スウェーデン大会に出場し、準々決勝のウェールズ戦で初ゴール。17歳239日はW杯最年少得点記録となった。4試合6ゴールでブラジルの初優勝に貢献した。
○62年 W杯チリ大会。負傷もあって2試合の出場だったがブラジルは連覇。
○62年 サントスを初の南米王者に導く。10月には世界クラブ杯(現クラブW杯)で欧州覇者のベンフィカと対戦し、3得点2アシストの活躍で初優勝。約7万5000人の観客は「オ・レイ」(王様)の連呼で称賛し、その名が定着。
○66年 W杯イングランド大会で2試合1得点。ポルトガル戦で相手の激しいタックルの連続で負傷し、1次リーグ敗退。「もうW杯には出たくない」。
○69年 サントスの選手としてアフリカに遠征。当時内戦下にあったナイジェリアなどで停戦が宣言された。
○69年 11月19日、マラカナン競技場で行われたバスコ・ダ・ガマ戦でPKを決めて、クラブと代表で通算1000ゴールを達成。後年の検証で、節目ではなかったとの説もあるが、ブラジル政府は記念切手を発行して祝福。
○70年 W杯不出場宣言を撤回し、メキシコ大会に出場。6試合4得点6アシストと大活躍。ブラジルは6戦全勝で史上初の3度目の優勝を飾った。
○71年 7月18日のユーゴスラビア戦の出場を最後にブラジル代表からの引退を表明。国際Aマッチ通算得点はブラジル代表歴代最多の77ゴール。
○72年 5月26日、サントスの一員として来日し、国立競技場で日本代表と初対戦。後半に2点を決め、3-0の快勝に導いた。特に2点目の左足シュートには「生涯最高のゴール」。
○74年 欧州ビッグクラブの誘いを断り、サントス一筋18年で現役引退。ブラジル全国選手権優勝10度、サンパウロ州選手権では57年から9年連続を含む得点王11度の成績を残した。
○75年 北米リーグのニューヨーク・コスモスで現役復帰し、世界を驚かせた3年目にリーグ優勝に導き、米国サッカー界の様相を一変させて再びユニホームを脱いだ。
○77年 9月、コスモスでの現役引退世界ツアーの一環で来日して2試合に出場。日本代表戦にも出場した。国立は6万5000人の超満員。
○84年 8月25日、釜本邦茂の引退試合に「友情参加」。43歳だったが、日本リーグ選抜と対戦した釜本のヤンマー(現C大阪)でプレーした。
○95年 ブラジル・スポーツ大臣就任。クラブに拘束されてきた選手の契約や移籍、クラブ経営などの近代化に取り組む。退任後に施行された通称「ペレ法」で形となった。
○2016年 75歳で3度目の結婚。最後の伴侶は日系人のマルシア・アオキさん。
○22年 12月29日、死去。
【記録アラカルト】
◆W杯優勝 3度のW杯優勝経験は史上ただ1人。58年、62年、70年大会で優勝した。ブラジルはジュール・リメ杯を永久保持することになり、74年大会から新しいトロフィーが作られた。2度優勝は過去20人。
◆W杯最年少得点 17歳で出場した58年大会で3つのW杯最年少得点記録を樹立。準々決勝ウェールズ戦で決めた17歳239日での得点は今も大会最年少得点記録として残る。準決勝フランス戦では最年少ハットトリック、優勝を決めたスウェーデン戦でも2ゴールを決め、決勝における最年少得点者となっている。
◆通算得点 FIFAによると、ペレの通算得点(親善試合など含む)は1363試合の出場で1281点。ペレが所属したサントスなどは1364試合で1282得点としており、ペレ本人は自身のツイッターに通算1283得点と記していた。サントス所属時代の59年には1年間だけで127得点を挙げたという。
◆ハットトリック ハットトリックは92回達成。そのうち1試合5得点以上は6回、4得点は30回。サントス時代の64年ボタフォゴ戦では1人で8ゴールを決めたという記録も残る。
◆アシスト FIFAの公式サイトによると、ペレは70年W杯で1大会個人最多の6アシストを記録。5アシストは86年大会のマラドーナ(アルゼンチン)ら4人がマークしている。

