国際サッカー連盟(FIFA)カウンシルメンバー(理事)として、W杯北中米大会の開幕戦から決勝まで現地で見届ける田嶋幸三氏(68)が、日本と世界を語る。1998年フランス大会以来28年ぶりに日刊スポーツの<評論>に復帰。「田嶋幸三/多事争論」と題して随時お届けする。日本協会(JFA)会長時代の2018年に森保一監督(57)を起用。史上初の続投も決め「最高の景色」を目指す夢舞台の初戦で、まずはオランダと引き分けたチームの成長を評価した。【取材・構成=木下淳】
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かつてなら2点、3点と取られてもおかしくなかった。今は違う。失点してもすぐ円陣を組んで修正点を確かめ合い「俺たちのサッカーで返してやる」と、その場で焦らず切り替えられる大人の集団になった。皆が欧州のトップを経験し、チームとしても成熟してきた証拠。準優勝3回のオランダに2度も追いつき、引き分けに持ち込める姿は10年前にはなかったものだ。
どの大会も同じだが、W杯の初戦は特に難しい。見ての通り両チームとも硬かった。緊張、疲労。互いに思い通りにはいかない展開となったが、徹底した分析があったことを物語る。堂安、久保、中村ら前線の各選手が、森保監督らしい緻密な守備から入る戦術を貫いた。4年前のカタール大会は優勝経験国を逆転で連破した。ドイツ戦(シュート数11本-26本)もスペイン戦(保持率17%-74%+競り合い9%)も、あれはあれで我々のサッカーだったし、気にしない。初めて勝った昨年10月のブラジル戦も今年3月のイングランド戦もボールは持たれた。持たせていた。組織的な守備から、が日本の特長だ。
一方で前回は、やはり差を感じながら耐えて耐えて勝ち切った形。今回は真っ向勝負を挑んで、伍して、勝ち点をもぎ取った。日本の成長、手応えを感じる。
中村選手、小川選手から鎌田選手、の得点は「自分の形」を大舞台でも証明してくれたものだったし、遠藤、南野、三笘の3選手が不運に見舞われ、以前なら軸を欠けばバランスも崩れていたところ、嘆くではなく一致団結した。誰が出ても戦える「ジャパンズ・ウェイ」を体現してくれた。
GKの鈴木彩艶選手も頼もしかった。2失点ともポストに当たるシュートだったが、あれほどの精度でなければ得点は許さない、という威圧感を相手に与えていた。これは育成の勝利でもある。身長は高くても発達が追いつかない細身の幼少時、発育が早い選手を使えば勝ちを収めやすい状況でも、辛抱して起用してくれた指導者に感謝したい。フィールド選手も同様。オランダからセットプレーで得点を奪えるようになるなんて、想像も難しかった。
進歩を実感するが、満足している選手はいないはずだ。過去7大会で1勝3分け3敗の「鬼門」2戦目が待つ。4年前はドイツに勝った後、スペインに0-7で大敗していたコスタリカに、敗れた。たった1本しか許さなかった枠内シュートを決められて0-1。あの悔しさ、受けたダメージを知るのは森保監督であり選手たち。勝ち点3を必ずつかんでもらいたい。教訓を一戦ずつ生かしていくことしか「新しい景色」「最高の景色」への道はない。
チュニジアもスウェーデンに1-5で敗れ、ラムシ監督を解任した。日本を熟知するルナール監督で勝負に来る。相手は関係ない。ただ、気持ちがガラッと変わって劇的に上向く事例は身をもって知ってもいる。
信頼関係を最も重視する自分は、当時の“会長生命”を懸けて18年ロシア大会の直前に、ハリルホジッチ監督との契約を解除した。数%でも勝つ確率が上がるなら、立場に未練もない。(極秘渡欧し)本人に伝えた。信頼関係が失われているのは、選手の表情からも言動からも明らかだった。
その点、森保監督は揺るぎない。就任してもらう前には「欧州で実績がない」「チャンピオンズリーグを経験した外国籍の指導者にしか選手は付いてこない」など心配もされたが、やはりコミュニケーション面で日本人監督はメリットが大きい。岡田(武史)さんや西野(朗)さんから魂を継承し、コーチ陣を信じての分業制に、選手との信頼を醸成できる人柄。改めて、ロシアで西野さんをコーチとして支えた森保監督は、日本がW杯で初めて2度のビハインドを追いついたセネガル戦(2-2)も含めて、今回で3大会連続の経験となる。大きな強みだ。
W杯は2030年に100周年を迎えるが、その第1回から第22回のカタール大会まで、優勝国の監督は例外なく自国人だった。(勇退し)会長ではなくなったから重圧をかけるわけではないけれど、森保監督に期待したい。その資格が日本にはあると思っている。
結果が出れば勢力図も変わる。参加48チームへの拡大は自分も賛成した。アジア勢が大会5日目まで6戦して無敗と軒並み好成績を収めていたのは、決して枠が増えたからではない。日本も24→32チームに出場枠が増えた98年に初めて切符をつかみ、悔しい3戦全敗から、この位置まで階段を上がってきた。大きな夢へ共闘してほしい。(FIFA理事、JFA名誉会長)
◆田嶋幸三(たしま・こうぞう)1957年(昭32)11月21日生まれ、熊本県苓北町出身。5歳の時に東京都世田谷区へ転居。6歳の64年に東京五輪を見てサッカーを始める。浦和南高では主将のFWとして75年度の全国選手権で優勝。筑波大4年時に日本代表入りし、国際Aマッチ7試合1得点。卒業後は古河電工入り。同期に岡田武史氏。83年に引退し、ドイツ留学。現U-17W杯の日本代表監督などから02年にJFA技術委員長。JFAアカデミー福島の創設に携わる。専務理事、副会長を歴任し16年に第14代会長。2期8年を全うして名誉会長。15年からFIFA理事(現名称はカウンシルメンバー)。
◆田嶋氏とニッカン評論 立大の助教授、サッカー部の監督と日本協会の国際委員を兼ねていた92年、日本が初優勝したアジア杯から担当。93年のW杯米国大会アジア最終予選「ドーハの悲劇」の前には「韓国を倒して初のW杯出場が見えたが、楽観はしていられない。最後の対戦相手イラクが最も要注意チームだからだ」「復帰の(守備的MF)森保が鍵」などと指摘していた。同年に開幕したJリーグやW杯の94年米国大会、日本が初出場した98年フランス大会では「観戦学」「実力診断」等を連載。閉幕後の8月、JFA技術委員会の副委員長に41歳の若さで就任し、卒業した。


