駒大が2時間8分32秒の大会新で9年ぶり4度目の出雲路を制し、悲願の大学駅伝「3冠」に向けて前進した。

7月の世界選手権代表の田沢廉(4年)が体調不良の中、3区で貫禄の走り。2区でスーパールーキー佐藤圭汰(1年)が区間新記録の快走をみせて先頭に立つなど、全区間1、2位の記録でまとめて完勝した。田沢を中心に進化を続ける伝統校。大八木弘明監督の悲願、チーム初、史上5校目の3冠へと視界良好だ。

    ◇    ◇    ◇

田沢は苦笑していた。「監督、言っちゃったよ…」。9年ぶりの出雲での歓喜に酔いしれた優勝インタビュー。その大トリでマイクに言葉を乗せた大八木監督は「ここに入るまで、田沢の体調よくなかったりしたんでね」とさらり。駒沢強し-。その印象をさらに強めることになる告白だった。

実は1週間前、感染性胃腸炎にかかり、発熱して寝込んでいた。「大丈夫か?」と度々聞いてくる恩師に、問題なしを強調しながらも、内心は「まずいなあ」。ただ、立場は理解していた。「自分が走ればチームも乗ってくる」。欠場の選択肢はなかった。2区か3区か。あえて長い3区を選び、完治しないまま当日を迎えていた。

中継所で、2区を走る1年生、洛南高で数々の高校記録を樹立した佐藤を待つ。「区間新でくる」。日常が確信させた。自身は世界選手権で20位に終わり、国際舞台で競うために練習の質を上げた。当然、他の選手は設定記録についてこられない。ただ、意欲を見せる選手はいた。その1人が佐藤だった。

「監督、田沢先輩と一緒に5000メートル走りたいです!」。大八木監督が困りながら、認める。そんな光景が増えていった。ペースについてこられない中で努力する者。田沢は「各学年のエースがそれで。僕だけが目標ではなく、学年の中に目指すべき存在ができた。それが大きかった」と説く。

首位でタスキを受け取った3区。「体調は最悪。無理しました」と万全から遠くても、日本人トップの区間2位で押し切った。途中で腹部の異変を感じながらも、貫録の走りで後半区間につないだ。最後は3年のエース、故障で今季初レースだった鈴木芽吹が区間1位で締めて、右指を1本突き上げて「1冠目」のテープを切った。

「田沢がいるうちに3冠を」。大八木監督の言葉を、本人は受け止める。「恩返しできるのは駅伝の優勝だけ」。入学当初、「お前を絶対に世界で戦う選手にする!」と宣言。無理だと感じていた弱気を消し去るように、強気で教え込んでくれた。厚い信頼関係がある。「僕が体調がダメだと言ったら、監督はびびっちゃう。以外に面白いところあるんです」と、今度は愛弟子が裏の顔を告白した。

これで3大駅伝通算25勝目を挙げた指揮官は「おれは2冠は8回もあるんだよ~」と指導歴19年目での悲願の3冠を望む。体調不良の中での完勝劇が、その強さを強調する。「残り2つですね」。頼もしい愛弟子は、大学生活の最高のフィナーレを現実に見ている。【阿部健吾】

◆田沢廉(たざわ・れん)2000年(平12)11月11日生まれ、青森・八戸市出身。是川中、青森山田高を経て駒大に進学。1万メートルで21年日本選手権2位、同年12月には、日本歴代2位となる27分23秒44をマークした。今年7月の世界選手権(米オレゴン州)20位。全日本大学駅伝では1年時から3年連続で区間賞を獲得中。箱根駅伝でも1年時から毎年走り、3年時に花の2区で区間賞に輝く。180センチ、61キロ。

◆佐藤圭汰(さとう・けいた)2004年(平16)1月22日生まれ、京都府出身。京都・洛南高時代には1500メートル、3000メートル、5000メートルの3種目で高校記録を樹立。長身から繰り出すストライドの大きな走りが特徴で、3年時の全国高校駅伝ではエース区間の3区で日本選手歴代最高記録を更新。駒大進学後の今年5月には5000メートルのU20日本記録も塗り替えた。身長184センチ。

【出雲駅伝】駒大、大会新で4度目V 田澤廉ラストイヤー悲願3冠へ前進/詳細&順位変動グラフ>>