立教大の「日本一速い監督」が半世紀以上も閉ざされた扉をこじ開けた。箱根駅伝予選会では上位10人の合計タイム10時間46分18秒の6位で史上最長ブランクとなる55年ぶりの本戦出場を決めた。元箱根のスターで、いまだ現役の上野裕一郎(37)が18年に監督就任。ランナー兼監督として「走る指導」で結果を出した。1位の大東大など10校が本戦出場権を獲得。本戦はシード10校、オープン参加の関東学生連合を加えた21チームで、来年1月2、3日に行われる。

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レース中から上野監督の目に光るものがあった。「選手の頑張りを見て涙が出ました」。柔らかな表情で振り返り、笑顔で付け足した。「号泣というより、“小泣き”ということで」。18年の就任から4年。選手とともに走り、箱根路への切符をつかんだ。

かつて「スピードキング」と呼ばれた。佐久長聖高で1万メートルの高校日本記録を樹立。中大では4年連続で箱根駅伝に出場し、3年時に3区区間賞を獲得。卒業後も実業団で活躍した。

転機は18年だった。同じマンションに住み、家族ぐるみで親交があった林英明さんが、立大職員で駅伝のコーチだった。創立150周年の「立教箱根駅伝2024」事業担当で、同年出場へ向け、監督を探していると聞いた。「立教がMARCHの中で駅伝に力を入れていないのは知っていた。逆に、力を入れると聞いてすごいなと」。古豪復活を意気に感じ、引き受けた。

当時は09年以降、予選会で11年連続25位以下と低迷。半世紀も遠ざかる箱根駅伝をイメージさせるため、自ら一緒に走り、目標を可視化させた。監督も練習に取り組むのは異例だが、金城快主将(4年)は「監督の練習についていったら確実に4年間で強くなると感じた」。距離感も近く、「監督というよりお兄さんという存在」と表現する。

「私に勝てれば、箱根駅伝に行けるよ」と鼓舞し続け、現実味を帯びたのは7月上旬。1500メートルで、林虎大朗(2年)が3分47秒でゴールし、3秒差で競り負けた。その後もハーフマラソンで中山凜斗(3年)に追い抜かれた。「俺も練習しないと、そろそろやばい」と悔しがったが、感じたのはもう1つ。近くで走ることで、選手の苦しさを肌で感じた。「彼らを箱根に連れていく」と思いが込み上げた。

監督を負かせるほど成長した教え子たちが、55年ぶりに扉を開いた。チームトップの1時間3分13秒を記録した国安広人(1年)は「『今年は絶対に行かないと』と後押ししてくれた」と指揮官に感謝した。胴上げされた上野監督は「55年ぶりでも、引くことはない」と、攻めの姿勢でシード権獲得を目標に据える。「運営車に乗るのが夢だった」とほほ笑む男は、選手とともに箱根路を駆け抜ける。【藤塚大輔】

◆上野裕一郎(うえの・ゆういちろう)1985年(昭60)7月29日、長野県生まれ。佐久長聖高の3年時に1万メートルで28分27秒39を記録し、当時の高校記録を更新した。中大では4年連続で箱根駅伝に出場。卒業後はエスビー食品へ進み、09年に5000メートルで世界選手権の日本代表に選出。13年からはDeNAに移籍。18年に立大陸上競技部の男子駅伝監督に就任した。1万メートルの自己ベストは28分1秒71(14年)。身長183センチ。

<1968年の主な出来事>

◆1月 東京五輪マラソン銅メダルの円谷幸吉が自殺

◆2月 大塚食品工業が「ボンカレー」発売

◆3月 テレビアニメ「巨人の星」が放送開始

◆4月 米国でキング牧師暗殺

◆7月 集英社より「少年ジャンプ」創刊

◆8月 ビートルズの「ヘイ・ジュード」が発売

◆9月 タカラが日本版「人生ゲーム」発売

◆10月 川端康成が日本人初のノーベル文学賞受賞

◆10月 和田アキ子が歌手デビュー

◆10月 メキシコ五輪開催

◆11月 ビッグコミックで「ゴルゴ13」連載開始

◆12月 東京・府中市で3億円事件発生

 

◆立教大学 1874年(明7)東京・築地に創立。1918年に池袋に移転し、22年の大学令で大学に認可された。池袋と新座に2キャンパスがあり、文学部、観光学部など10学部27学科8専修1コースを設置。主なOBは長嶋茂雄巨人終身名誉監督、関口宏、みのもんた、古舘伊知郎ら。学生数2万人。

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