元男子日本代表で72年ミュンヘン五輪、76年モントリオール五輪に出場した千種信雄さん(74)が3日、千葉市内で取材に応じ、日本バスケの歴史を振り返った。
67年創設の実業団による日本リーグと、16年からプロリーグとして新設されたBリーグとの違いに言及。その上で70年代の日本代表と現在のチームの共通点を説いた。
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千種さんは日本リーグの住友金属で、営業マンとバスケ選手の二足のわらじで活躍した。
朝9時から午後5時半まで勤務し、夜に2時間半の練習。限られた時間の中で技を磨いた。
その下地にあったのは、米国のNCAAチャンピオンチームを築いたピート・ニューウェル氏による指導だった。
「基本に忠実な内容でした」
大きな歩幅や低い姿勢でのドリブルをたたき込まれた。それもあり、NBAチームから誘いを受けるほどに成長した。
「当時はすぐに断りましたが、もし今だったら行っていたと思います」
懐かしそうな目で回想する。引退後は住友金属で監督も務めた。
基本の徹底で力をつけた日本男子だったが、76年モントリオール大会以降は五輪から遠ざかった。国際舞台へ届かない時期は長期化し、05年以降は国内にNBLとbjリーグが並立する事態にもなった。
低迷が続く中、15年にサッカーJリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏が理事長に就任。翌16年からBリーグが発足されると、風向きが変わっていった。
競技に専念できる環境が整ったことで、技術や体力が向上した。効果はスキルアップにとどまらない。
「私が現役時代は引退後に会社へ進む道がありましたが、今は成功しないと生き残れないですから」
プロ化されたことで、競技に懸ける思いも変わり始めた。低迷期には薄れていたハングリー精神が、養われるようになった。
国内のリーグ改革が進むと、次は指導体制にもメスが入れられた。
21年東京五輪後には、女子代表を銀メダルに導いた米国人のトム・ホーバス氏が監督に就任した。
千種さんは監督時代、選手だった頃のホーバス氏を知っている。当時から基本を心得ていた。
「引き出しが豊富で基本に忠実。相手にいたら一番嫌な選手です。指導も日本人に合っていました」
プロ化に加え、米国仕込みの指導で力を伸ばした70年代へ回帰したことで、男子バスケの成長が加速。今大会はホーバス監督の指揮のもと、Bリーグ出身者が躍動した。48年ぶりに自力での五輪切符をつかんだ。
12チームによる来夏のパリ五輪では、72年ミュンヘン大会以来の白星(76年大会での不戦勝を除く)が懸かる。
「絶大的なスターが出て、各選手が考える力を伸ばせば、1勝は出来ると思います」
半世紀前を知るオリンピアンは、五輪での勝利を心待ちにしている。【藤塚大輔、村山玄】
◆千種信雄(ちぐさ・のぶお) 1948年10月20日、大阪府生まれ。兵庫・育英高から大商大を経て住友金属へ入社。シューターとして活躍し、日本リーグで3度優勝。引退後は同チームで監督を歴任。72年ミュンヘン五輪、76年モントリオール五輪代表。身長188センチ。

