プロボクシング元WBC世界ライト世界王者のガッツ石松さん(73)は、第2の人生でも人気タレント、俳優として成功を収めた。

ボクサー時代は11度の敗戦を糧にして世界王座を奪取。5度防衛に成功して、1970年代に一世を風靡(ふうび)した。

引退後はNHK連続テレビ小説「おしん」などでの演技が高く評価され、1980年代以降に個性派俳優として確固たる地位を築いた。

なぜボクシングと芸能界という、まったく異なる2つの世界で頂に立つことができたのか。世界王座奪取から49年となった今年4月、都内でご本人にじっくりと話を聞いた。昨年6月の取材時の証言も合わせて、挫折と栄光が交差した波瀾(はらん)万丈の半生を【ガッツ石松という伝説】と題して連載する。第1回は「一夜にして全国区。大番狂わせの真実」。

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伸びたひげは白さが目立つようになった。国民を驚かせ、歓喜させたあの『大番狂わせ』から、もう49年がたつのだ。「幻の右」で一世を風靡したヒーローも、今や73歳。

「最近は寒かったからゴルフもやってないよ。昔はやりたいと思ったら無理してでもやったけど、今はそんなに執着しないね」。

語り口調も、表情も、どこまでも自然体で、とがったところがない。挫折も栄光も知り尽くした者特有の境地なのかもしれない。

右アッパーでロハスを一発KOした5度目の防衛戦の写真パネルを手にガッツポーズを決めるガッツ石松さん(撮影・首藤正徳)
右アッパーでロハスを一発KOした5度目の防衛戦の写真パネルを手にガッツポーズを決めるガッツ石松さん(撮影・首藤正徳)

1974年(昭49)4月11日、ガッツ石松はアジア人で初めてライト級の世界王座を奪取した。

相手は57勝中48KO(5敗)と8割近いKO率を誇る名王者ロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)。それまで11敗も喫していた挑戦者に勝ち目はないと思われていた。世界にも2度挑戦してともにKO負け。しかも、ライト級(リミット61・23キロ)は世界的にも選手層が厚く、アジア人で世界王者になったボクサーは過去に1人もいなかった。

試合は開始から王者がボディーを狙って前進し、挑戦者がフットワークを使って左ジャブを突く展開が続いた。7回まで一進一退だったが、8回、ガッツ石松は突然、勝負に出た。

1分すぎに左フックのカウンターから一気に連打を畳み掛け、右ストレートを顔面にたたき込むと、ゴンザレスはリングに大の字になった。何とか立ち上がったがダメージは深く、再び倒れ込んだ。ここでレフェリーが助太刀して抱き起こしたことで場内騒然。しかし、再開後に挑戦者が連打で再びダウンを奪いKO勝ち。大番狂わせに約7000人で埋まった日大講堂は、歓喜の大歓声に揺れた。

ガッツ石松(右)はロドリオ・ゴンザレスを幻の右で倒しKO勝ち。新チャンピオンとなる(1974年4月11日)
ガッツ石松(右)はロドリオ・ゴンザレスを幻の右で倒しKO勝ち。新チャンピオンとなる(1974年4月11日)

「2度世界挑戦に失敗して、結局、ボクシングはスタミナだと思ったんだよね。だからあの試合の前は練習量を増やしてよく走った。以前は合宿でもトレーナーが見えなくなると力を抜いていたけど、あの頃はサボりたいと思うと一層力を入れるようにしたね。失敗は成功のもとと言うけど、なぜ失敗したかを考え抜いていくと、見えてくるものがあるんだよね」

実はこの試合は当初1月17日に行われる予定だったが、ゴンザレスが毒グモに刺されたことを理由に約3カ月延期された。その想定外のアクシデントをチャンスと考えて、徹底して走り込んだという。

「大番狂わせ」の裏には、もう1つ大きな原動力があった。過去に世界フライ級王者の海老原博幸や世界スーパーライト級王者の藤猛、フェザー級とスーパーフェザー級の2階級を制覇した柴田国明ら、3人の世界王者を育てた名伯楽エディ・タウンゼント氏の存在である。3度目の世界挑戦を控えて、専任トレーナーに就任した。

「それまでは足を止めて力ずくで打っていたけど、エディさんが“リズム、リズムよ”“左、左ジャブよ”と言ってね。足を使って、左ジャブを突くボクシングの組み立て方を教えてくれた。そのボクシングが自分に合っていたんだと思う。試合中は忘れてしまうから、コーナーに戻ってくるたびに『“左ジャブを出せ”“足を使え”それだけを言ってくれ』と頼んでね。何よりセコンドにエディさんがいると思うと安心感というか、心の余裕が違ったねよね」

ゴンザレス戦は7回まで、タウンゼント氏にたたき込まれたリズムボクシングに徹した。強引に打ち合わず、フットワークを使い、盛んにスピードに乗った左ジャブを繰り出した。それが8回のKOシーンのお膳立てになった。左ジャブから間髪入れずに振り抜いた右ストレートが、勝負の決定打になったのだ。試合後、ガッツ石松が勝利者インタビューで「幻の右」と形容した、あの有名なKOパンチである。

「『幻の右』は左ジャブを出した瞬間に出す右ストレート。まぐれで出たものじゃない。足を使って、左ジャブを突いて、相手をうまく引き寄せて、タイミングを見て一気にね。あの世界ヘビー級王者のムハマド・アリが来日した時に公開練習を見に行って研究してね。あの頃は行き詰まると、必死に何かを見つけだそうとしていたね」

ガッツ石松(右)はロドルフォ・ゴンザレスにKO勝ちしジャンプする(1974年4月11日)
ガッツ石松(右)はロドルフォ・ゴンザレスにKO勝ちしジャンプする(1974年4月11日)

8回KOで念願の世界王座を奪取したガッツ石松は、歓喜のあまりコーナーのロープに飛び乗り、観客に向かって両拳を突き上げて雄たけびを挙げた。これを翌日のスポーツ紙が「ガッツポーズ」と報じたことで、この言葉が全国に広がった。

「念願の世界チャンピオンになって喜びというか、興奮してね。あのポーズはもう無意識で出たの。それから“ガッツポーズ”としてはやってね。誰も世界王者になれると思っていなかったから世間も驚いたんだろうね。それだけインパクトがあったんだと思う」

当時、ボクシングの世界戦は国民的関心事で、テレビの視聴率は40%を超えていた。「ガッツ石松」の名前は一夜にして全国区になった。今や国民の誰もが親しみを持つこのリングネームは、ゴンザレス挑戦決定前に「鈴木石松」から改名したものである。本名の鈴木有二でプロデビューした男は、なぜ「ガッツ石松」になったのか。

不思議なことに彼のボクシング人生を振り返ると、この2度の改名が、飛躍への大きな転機になっていた。【首藤正徳】(第2回へ続く)(本文敬称略)

◆ガッツ石松(いしまつ)本名・鈴木有二(すずき・ゆうじ)。1949年(昭24)6月5日、栃木県粟野町(現鹿沼市)生まれ。66年12月プロデビュー。72年東洋ライト級王座獲得。74年にWBC世界ライト級王座獲得。5度防衛。戦績は31勝(17KO)14敗6分け。79年に引退後は個性派俳優として活躍。NHK朝ドラ「おしん」や米映画「太陽の帝国」「ブラック・レイン」などでハリウッドにも進出。08年に鹿沼市民栄誉賞受賞。流行語になった「OK牧場」などユニークな語録でも知られる。