表彰台を降りると、家族の見守る観客席に歩み寄った。「父やん!」の声に笑顔で応えた。左手の花束を長男に渡し、その左手で首にかけた銅メダルを次男にかけた。

14日、横浜で行われたトライアスロン世界シリーズには「当たり前」の景色があった。

3位で表彰式に臨んだのは東京パラリンピック銀メダルの宇田秀生。9年前に仕事中の事故で右腕を失った35歳は「やっぱり、観客がいるレースは、いいですよね」と笑った。

3年ぶりの有観客開催だった。新型コロナの感染リスクを考慮して、積極的な来場の呼びかけはない。大会側は「密を避けて」と声掛けし、恒例のゴール前での観客とのハイタッチも自粛。それでも、沿道には多くのファンが集まった。

選手たちの家族の姿もあった。宇田の亜紀夫人と琥太郎くん(8)、健太郎くん(5)も滋賀から駆け付けた。「いてくれるだけで、力になりますから」。宇田は、とびきりの笑顔で言った。

結婚5日後に利き腕を失った。新妻のおなかには第1子もいた。そんな宇田にとって、家族の存在は特別だ。妻に支えられ、子どもたちの存在に励まされた。国内のレースは、ほとんど家族と一緒だった。

しかし、昨年の東京五輪・パラリンピックは無観客。「実は、見に来てたんです。本当はダメなんですけど」。小声で明かした。もっとも、派手な応援はなく、接触もなし。最高の舞台での最高の瞬間を見せられなかったのは間違いない。

もちろん、宇田だけではない。新型コロナ対策として仕方なかったとはいえ、多くの選手や家族が残念がった。「せめて家族だけでも」という声は国内だけでなく、海外からもあがった。「何とかならないか」という声を何度も聞かされた。

東京パラでの活躍で、大会後は「予想以上に忙しかった」。ゴール後に聞いた「家族とゆっくりしたい」という願いも、十分には果たせなかったという。自治体やスポンサーなどの表彰やあいさつ回り、イベントへの出席。「のんびりと家族旅行に」の夢もかなわなかった。

それでも、宇田は笑顔を見せる。「こういうこと(レース観戦)も旅行になるんで」。子どもたちに「かっこいい姿を見せたい」。と同時に「子どもにとっても、いい経験になる」。

「レースでは、いろいろな人に会う。そういう中で世界を広げていってほしい」と宇田。パラの大会には障がいの有無、程度、さらに国籍の違いなどさまざまな人たちが集まる。そんな環境で育つことが貴重なのだという。

選手は1人ではなく、家族で戦っている。選手が成長するように、家族も成長する。宇田だけではなく、多くの選手と家族が同じだろう。「去年観客がいたら、もっと号泣していました」。東京大会のレース後の涙が印象的だった宇田は、そう言って笑った。

まだ完全とはいえないが、スポーツの世界にも少しずつ日常が戻ってきた。少しでも早く当たり前に家族で戦い、涙し、笑い合えるようになってほしい。2年後のパリ大会では、子どもたちにメダルをかける宇田の笑顔が見たい。

【荻島弘一】

(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)