いつ以来だろうか。今月4日の福岡国際マラソン。平和台陸上競技場に3位の川内優輝(29=埼玉県庁)が飛び込んできた。その時、1位ツェガエ(エチオピア)、2位マカウ(ケニア)はトラックを走っていた。川内はゆがんだ視界の中に先行する2人を捕らえただろう。最後のトラックで、日本選手がケニア、エチオピア勢の背中を追っていた。

 最近の男子マラソンは日本選手が中間点過ぎで早々と脱落。テレビ画面の先頭集団は海外勢ばかり、第2中継車が日本人トップ争いを追い、アナウンサーが必死で盛り上げる-。そんなシーンが繰り返されていた。その中で川内の走りは、強いインパクトを残した。

 持ちタイムからすれば、川内(自己記録2時間8分14秒)の記録は2時間9分11秒と平凡だった。ただ1位ツェガエ(自己記録2時間4分48秒)と23秒差、2位マカウ(2時間3分38秒)と14秒差の競り合いを演じた。けがを抱えて走りきった精神力は驚きではあるが、そこには「魂」や「根性」だけではなく、海外勢と本気で争うための日本伝統の勝負手があった。


負傷を抱えながら3位でゴールし、涙を流す川内優輝(撮影・梅根麻紀)
負傷を抱えながら3位でゴールし、涙を流す川内優輝(撮影・梅根麻紀)

●ペースメーカー離脱で「ヨーイ、ドン」


 23キロ手前でペースメーカーが離脱した際に、川内は自分で仕掛けた。ここに大きな意味がある。海外勢はペースメーカーが外れる30キロ以降に「ヨーイ、ドン」で急激にペースアップする。そのスピードについていける日本選手は皆無といっていい。いくら先頭集団にいても日本選手はゴールに近づけば近づくほど勝つ確率がどんどん減っていく。

 川内の仕掛けは海外勢の想定よりも早く、20人近くの先頭集団がばらけた。川内は33キロで先頭から遅れたが、リスクをかけて海外勢のペースを乱し「我慢比べ」という自分の土俵に引きずり込んだ。川内の3位は海外勢が精彩を欠いたわけではなく、自らの仕掛けで勝ち取ったものだ。時折、雨が降る中、ペースメーカーが当初の30キロまでもたなかった予定外の事態を瞬時に判断して、味方にした。


アテネ五輪でゴールする野口みずき=2004年8月22日
アテネ五輪でゴールする野口みずき=2004年8月22日

●日本選手が勝つには中盤勝負がカギ


 00年シドニー五輪の高橋尚子さんも、04年アテネ五輪の野口みずきさんも中盤からロングスパートを仕掛けて、金メダルを獲得した。野口さんは、世界大会で勝負するコツについて「日本選手が勝つには中盤から自分のペースに引き込むこと」。海外勢をロングスパートで消耗させて、最後のスピード勝負に持ち込ませないことがかぎだという。

 男子マラソンの世界記録はデニス・キメット(ケニア)の2時間2分57秒。日本の現役最速タイムは今井正人の2時間7分39秒(15年2月・東京マラソン)。もとより持ちタイムでは海外勢と勝負できない。ただ世界選手権、五輪はペースメーカーがつかない。選手が勝負を重視するため、レースは持ちタイム通りにはいかない。そこに日本選手が戦えるチャンスがある。


 川内の走りは、持ちタイムで劣る日本選手が海外勢と戦うために必要なものがつまっていた。豊富な練習量、勝負勘、粘り、そして何よりも勇気-。ロングスパートには終盤失速の恐怖がつきまとう。30キロ以降はジリ貧になるとわかっていても仕掛けられないものだ。それでもスピードで勝てない日本選手が本気で世界の表彰台を狙うならば、戦う方法は、これしかない。【益田一弘】


 ◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島県出身。00年入社の40歳。大学時代はボクシング部。プロレス、相撲、ボクシング、サッカー、野球、陸上、水泳などを担当。記者歴17年で何ひとつ身についていないが、最近は「便利屋」として開き直っている。