日刊スポーツのニュースサイト、ニッカンスポーツ・コムです。

4回転封印!美姫守って逆転金メダル/07年

◇2007年3月24日・5日目◇東京体育館◇女子フリー

 美姫、涙の逆転金メダル! 安藤美姫(19=トヨタ自動車)がフリーで127・11の自己最高点を出し、合計195・09点で世界の頂点に立った。4回転サルコーは回避したが、ジャンプを完ぺきにこなし、ショートプログラム(SP)2位からの鮮やかな逆転でトリノ五輪15位のリベンジを果たした。SP5位と出遅れた浅田真央(16)は133・13点の自己最高でフリーは1位。合計194・45点で銀メダルを獲得し、日本人初の金銀独占を果たした。SP1位の金妍児(韓国)は3位に終わった。

 もう言葉にはならなかった。「195・09点、1位」。アナウンスで世界一を告げられると、安藤の満面の笑みが感動の涙に変わった。「すごく苦労したんですけど…、家族やコーチや皆さんのおかげで…金メダルが取れてうれしいです…」。だが、涙もそこまでだ。降り注ぐ歓声に応えるように、世界女王は表彰台の上で誇らしげに笑った。

 代名詞とも言える4回転サルコーは封印した。前日のSP後には挑戦を宣言し、この日の練習でも3回中2回を完ぺきに成功させていた。しかしモロゾフ・コーチがストップをかけた。「メダルを取るために」と、安全策を指示。1度は「東京開催だから跳びたい」と突っぱねたが、最終的には絶大な信頼を置く師の決断を尊重した。

左足を高々と上げながらスパイラルで舞う安藤美姫(撮影・鈴木豊)
左足を高々と上げながらスパイラルで舞う安藤美姫(撮影・鈴木豊)

 それでも満員の大観衆を完全に魅了した。序盤の連続ジャンプを決めると、自然と笑顔が出た。中盤の3連続ジャンプで興奮は頂点に達し、リンクを妖艶(ようえん)に舞う直線を描くステップの際には、場内と安藤が完全に一体化していた。この時点で金メダルをほぼ手中にした。

 トリノ五輪で15位と惨敗。「五輪の後、本当につらい時期があった。代表選考の時に何で選んだんだ、という批判の声もあったんで」。競技生活を退くという選択肢が頭をよぎったこともあった。その時、出会ったのが姉のように慕う荒川を育てたモロゾフ・コーチだった。

 「ニコライ(モロゾフ)は私の弱い心を見抜いて、落ち込んだ時に慰めるのではなく、厳しく、やりなさいと言ってくれる。私を救ってくれた」。五輪前は「普段ならできるのに何でできないんだろう」というおごりにも似た感情があったが、厳しい指導で甘えが消え、精神的にも大人の階段を上ることができた。

 モロゾフ・コーチとは来季こそ4回転に挑戦することを約束した。浅田真との金銀独占も勢いを加速させる。「(浅田真と)私たちで(世界選手権女王の)伊藤みどりさん、佐藤有香さん、荒川静香さんの強さを引き継げばいいと思う」。最大の目標は10年バンクーバー五輪だ。3年後の大舞台、その時こそは4回転を跳んで、この日と同じ色のメダルをつかむ。【菅家大輔】

17年ぶりトリプルアクセル 真央は攻めて銀

演技を終えた浅田真央は泣きながら観衆の大声援に手を振って応えた(撮影・鈴木豊)
演技を終えた浅田真央は泣きながら観衆の大声援に手を振って応えた(撮影・鈴木豊)

 思わず両手を突き上げた。耐えていた気持ちが解き放たれるように、浅田の涙が止まらない。会場中の揺れるような声援が、天才少女を後押しした。SP5位から銀メダルへの大躍進。奇跡の大逆転優勝に、あとわずか0・64点だった。「(銀メダルは)悔しいけど、うれしい」。涙が止めどなく流れ落ちた。

 空中を舞う見事なトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)が、しっかりと着氷した。90年伊藤みどりさん以来17年ぶりの快挙だ。「トリプルアクセルを跳べたときは、本当にうれしかった」。フリーの133・13点は、コーエンの持つ記録を2・24点更新する歴代最高のおまけ付きだ。

 惜しくも金メダルは安藤に譲った。しかし、連続表彰台の記録はしっかりと守った。04 ~ 05シーズンから、ジュニアで国際大会に出場。それ以来、どんな不調の時でも、表彰台を逃したことはなかった。

 SPで、今季初めて首位を逃した。連続3回転ジャンプの2個目が1回転になり、まさかの5位発進。その日は「本当に悔しかった」と、関係者が話しかけられないほど落ち込んでいたという。

 この日の公式練習でも、武器のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)は、転倒、回転不足、手をつくなど絶不調だった。しかし、浅田の目には金メダルしか見えていなかった。「1位になるためにはノーミスしなくちゃと頑張った」。攻める気持ちでつかんだ銀メダル。それは、決して金メダルにも劣らない。

 大会前に話した目標は「パーフェクトな演技で金メダル」。その願いには、惜しくも届かなかった。しかし、浅田のバンクーバーへの道が、この悔しさをバネに、今日から新たなスタートを切る。【吉松忠弘】

高橋大輔 日本男子初の銀メダル

◇2007年3月22日・3日目◇東京体育館◇男子フリー、アイスダンス・オリジナルダンス

 フィギュア界の「ダイスケ」が偉業を遂げた。高橋大輔(21=関大)がフリーでトップの163・44点をマーク。合計237・95点で2位となり五輪、世界選手権を通じて日本男子初の銀メダルを獲得した。ショートプログラム(SP)14位の織田信成(19=同)は7位に浮上した。優勝はブライアン・ジュベール(フランス)。一方、女子は今日23日にSPが行われる。高橋がつくった流れに乗り浅田真央(16=中京大中京高)らが世界一を目指す。

 あふれ出る涙を隠せなかった。演技を終え、館内を揺るがす地鳴りのような大歓声と拍手を全身で浴びた高橋は、ため込んだ感情を一気に爆発させた。最終滑走のバトルの得点が出て、日本人男子初の銀メダルが確定すると「うれしいっす。それだけです。うれしくて泣くのは初めて」と喜びをかみしめた。

 「演技直前は泣きそうなほど緊張していた」。その言葉通り、最初の4回転トーループで手をついたが、その後が今までの高橋とは違った。これまでならミスを引きずる悪循環に陥るところを、踏みとどまった。終盤にリンクを縦断する自慢のステップは、大会3連覇を狙っていたランビエルをして「高橋の技術はすごい」と言わしめるほど魅了した。

演技を終えた後、感極まって男泣きする高橋大輔(撮影・鈴木豊)
演技を終えた後、感極まって男泣きする高橋大輔(撮影・鈴木豊)

 ガラスの心臓-。そんなレッテルを、自力で返上した。トリノ五輪では重圧に負けてフリーで自滅し、8位に沈んだ。この苦い経験が「感情のコントロールができるようになった」と言うまでに高橋を変えた。トレーナー不在時に練習に甘えがでる、これまでの悪癖も消えた。「スケートへの取り組みが変わった」と振り返るように、五輪のリベンジのための意識改革が、心身の成長につながった。

 長い道のりだった。02年世界ジュニア選手権で日本人男子初の優勝。一躍、脚光を浴びたが04年ごろからスランプに陥った。05年春には長光コーチに「スケートを辞める」と荒れたこともあった。「本当に衝突した。でも、あの時があったから今がある」と長光コーチ。恩師との衝突、五輪の屈辱…。すべてが少年だった男を「大人」に変えた。

 「100%の滑りではなかった。来季は世界のトップと同じように、演技に4回転ジャンプを2個入れることが目標。常に世界一を目標にしています」。77年大会の佐野、02、03年大会の本田の銅メダルを超えたが、ここがゴールでない。10年バンクーバー五輪で金メダルを獲得するべく前進を止めない。【菅家大輔】









日刊スポーツ購読申し込み 日刊スポーツ映画大賞