プレーバック日刊スポーツ! 過去の10月16日付紙面を振り返ります。2010年の1面(東京版)は「YAWARAちゃん」谷亮子の現役引退会見でした。

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 柔道女子48キロ級の五輪金メダリストで参院議員・谷亮子(35)が15日、現役引退を表明した。全日本柔道連盟が12年ロンドン五輪出場へ出場を義務付けた11月の講道館杯のエントリー期限となったこの日、都内で引退会見を開いた。今夏の参院選で民主党から出馬して当選。選手と議員の両立を目指したが、議員活動に重点を置くために、二足のわらじを断念した。16年リオデジャネイロ五輪挑戦の可能性も示唆したが、最強柔道家としてのYAWARAちゃんは畳から下りた。

 谷に涙はなかった。民主党の小沢一郎元代表や恩師らも同席する会見で、笑みもこぼれた。だが約20年間トップを走り続けた「柔の道」から退く決断は、やはり特別だった。「競技生活の第一線から退きます。日本中、世界中のファンの皆さま、世界中の選手に心から感謝申し上げたい」。少し声を上ずらせ、会見の冒頭で引退を表明した。

 12年ロンドン五輪出場へ出場義務があった11月の講道館杯。そのエントリー期限日での引退発表だった。参院選当選後の8月から練習を再開し、先週末も午後10時近くまで練習するなど精力的だった。だが13日夜に夫の巨人谷佳知や父勝美氏らに決断を伝えた。「スポーツ全体の振興や環境を整えることへ、国政の場で力を発揮したい気持ちが強くなった」。この日の会見直前の午後4時ごろ、全日本柔道連盟に対し、トップからの引退を意味する強化指定の辞退届を提出した。

 選手、議員の両立が困難なことは引退の理由に挙げなかった。「決断に悩みはなかった」。だが実際には苦悩を抱えた。谷に近い議員は「(立候補前は)本当に両立できるか悩んでいた」と明かす。出馬表明後は二足のわらじを履くことへの批判の声も多かった。当選時の会見では「公務はおろそかにできない。柔道はできる限り続けていきたい」とトーンダウンした。

 当選後も新人では異例の党スポーツ議連会長に選出され、代表選では小沢氏の応援に奔走するなど政治活動は多忙を極めた。両立へ努力を重ねたが、時には「私に1票を預けてくれたみなさんの中には、議員と柔道をがんばってほしいという方もいるし、議員として女性の社会参加やスポーツ振興を頑張ってほしいという方も多い」と、悩むこともあった。

 柔道を取り巻く状況も激変した。北京五輪後はランキング制が導入され、定期的に試合出場を求められるルールに変更。全柔連首脳陣からも離脱が続いたことを批判された。理想を掲げても現実は厳しかった。

 北京五輪後は1試合も出られなかった。だからこそ、柔道への未練も言葉の端々ににじみ出た。「いったん退く」「アマチュアに引退はない。いつでもカムバックする選手がいることは心強い」「16年リオ五輪? 復活、復帰はあるし、できる環境があれば頑張りたい」。今後も練習は続け、試合出場も検討する方針。だが40歳でのリオ五輪は奇跡に近く、夢物語だ。

 日本中に感動を与え続けたYAWARAちゃんは、今後は谷先生として次の夢を追う。「最高の成績を挙げたことに達成感がある。次は国政の場で、スポーツの場を明るくしていきたい」。谷は政界への所信表明を残し、柔道界に別れを告げた。

【批判も力/一問一答】

 -印象に残る試合は

 谷 1つと言われると難しい。4つあって、中学3年の15歳の時に世界のトップに立った福岡国際は、今でも忘れられない。00年のシドニー五輪と04年アテネ五輪の連覇もそう。子供を出産してからの07年(世界選手権)は「ママでも金」という、競技を続けながら仕事をする大きなメッセージを伝えられた。

 -北京五輪で金メダルなら引退していたか

 谷 20年間、15歳の時から国際大会に出たが、途中で引退を考えたらここまで続けられなかった。金メダルを取ったからこそさらに目標を高く設定する、結果が残念であってもさらにチャレンジする、その積み重ねでやってきた。

 -柔道の試合から逃げたという批判の声も出るが

 谷 いろんな意見がある。私は常に力に変えていくタイプだし、自分がしっかりやることが大事。

 -政界でやりたいこと

 谷 世界から比べれば、日本のスポーツ環境は遅れている。来年の通常国会でのスポーツ基本法制定などで力を発揮したい。

 -柔道界の次世代へのエール

 谷 男女問わず、10年間勝ち続ける選手が出てくることを期待したい。

※記録と表記は当時のもの