カリブ海に浮かぶバミューダ諸島出身のフローラ・ダフィー(31)が、東京オリンピック(五輪)の金メダルへ復活優勝した。

リオデジャネイロ五輪の16年に急成長し、2年連続世界選手権を制したダフィーは左足の負傷で昨年7月に戦線を離脱。1年1カ月ぶりの復帰レースは3番目にゴールしたが、上位2人の失格で「前哨戦V」が転がり込んだ。人口6万1000人の小島の英雄は来年、バミューダ諸島に初の五輪金メダルをもたらす。

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右手を挙げて、ダフィーは笑顔でゴールを切った。水着の「Bermuda」を誇らしげに見せ「この成績はうれしい。来年に向けて、いい第1歩になった」と話した。1、2位の英国コンビと抱き合って健闘をたたえ合ったが、その後2人が失格に。合格点の復帰戦に「優勝」がついた。

昨年7月以来のレースに不安はあった。「どこまでできるか、挑戦だった」。世界ランク1位のザフィアエス(米国)が落車する中で、トップ集団を守った。ランで遅れたものの、終盤は巻き返した。力強いバイクやランは相変わらず。元世界女王は強かった。

古傷でもある左脛骨(けいこつ)の痛みを、思い切った休養で完治させた。負担のかかるランをせず、スイムとバイクを強化。まだまだ完全ではないが、世界シリーズ横浜大会を連覇するなど日本でも知名度は高い。沿道の拍手が、ダフィーの走りを後押しした。

7歳の時、自宅近くの海と山で、トライアスロンを始めた。「10歳の時には世界チャンピオンと五輪金メダルを夢にした」。20歳で08年北京五輪に出場。その後も世界レベルの大会に出たが、30位前後と夢は遠かった。ITUの育成プログラムに自ら応募。トップレベルの選手と練習し、急成長した。16年と17年の世界選手権を制し、世界チャンピオンの夢は果たした。

最大の目標が、来年に近づく。4度目の五輪にかけるからこそ、リスク覚悟で古傷を治した。76年モントリオール大会から五輪に出るバミューダ諸島だが、金メダルはない。「国民的英雄」が挑む第1号。「自分のためでなく、島のために金メダルをとりたい」。6万人の思いを背に、ダフィーは泳ぎ、こぎ、走る。【荻島弘一】

◆バミューダ諸島 北大西洋に浮かぶ英国の海外領土。面積は53・3平方キロメートルで石垣島の4分の1、人口は約6万1000人で埼玉スタジアムに収容できる。首都はハミルトン。観光産業など経済的には豊かで、自治権を持つ。バミューダ五輪委員会は1968年に創立。五輪にはそれ以前の36年ベルリン大会から出場し、冬季大会も92年から毎回出場している。メダルは78年モントリオール大会ボクシングの銅が1個。