第100回を迎える全国高校ラグビー大会が27日、大阪・花園ラグビー場で開幕する。日刊スポーツではWEB連載「花園100回の軌跡」を掲載。最終回は、平成の時代に高校ラグビー界に新風をもらたした啓光学園(現・常翔啓光学園)に迫ります。

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2000年代はじめは、ロイヤルブルーのジャージーが花園を席巻した。01年~04年。戦後最多、4連覇を啓光学園が成し遂げた。偉業を築いたチームを率いたのが記虎敏和監督(68、4連覇時は総監督)。毎年戦力が入れ替わる高校スポーツにおいて、勝ち続けたチーム作りを振り返ってもらった。

記虎氏 我々は大阪の代表でした。大阪でNO・1にならないと、全国では勝てないという意識でした。目指したのが確実にゲームで勝てるチーム。その1番がディフェンス(DF)でした。当時は大工大高(現常翔学園)が最強。その大工大高に勝つために力をつけないといけないとやってきた。DFは守りじゃない。攻撃なんだと。1人1人のDFを強化しました。

「打倒・大工大高」。身近に存在した目標から、チーム作りはスタートした。

記虎氏 ラグビーは15人ですが、結局は1人1人なんです。逃げずに怖がらず体を当てる。中学時代にいくら実績があっても、そういう選手を引き上げました。体が大きい子より、小さい子の方が果敢にタックルにいったりします。100人以上の大所帯でA、Bとチーム分けをしましたが、手を抜いたと見た選手はすぐ交代させました。

記者は3連覇達成後、記虎監督にインタビューした。当時のテーマも高校スポーツにおける「組織作り」だった。

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※03年時の記虎監督 チームワークは、個々の責任の集合体です。助け合うという意味でとらえられがちだが、私の考えは違う。1人1人が責任を果たしてこそ、信頼関係が生まれる。「自立心」が必要。自分で自分を律する心がなければ、苦しい時、辛い時に自分を見失ってしまう。強い精神力の本質を理解するようになって、チーム力が上がってきた。

チームの礎は「個」。この基本線を構築するまで、記虎監督も迷走を続けた。監督就任直後。血気盛んな頃を思い起こすと、苦笑いしか出てこない。

※記虎監督 最初はただスパルタでしたね。選手をロボット的に扱い、有無を言わせずにやらせた。ラグビーが好きで、やりたいという子供に、ラグビーを嫌いにさせた。きつい練習で、思い通りにしないと殴る、蹴る。ごはんも食べさせずに練習で、保護者から苦情の電話もあった。40人ぐらいの部員が半分になり、試合もできず、柔道部や陸上部から選手を借りたこともありました。心の中では辛かった。でも「負けへん」という思いで突っ張ってました。

脱スパルタのきっかけは「笑い」だった。ニュージーランド遠征を行う大体大所属のOBに「先生も1度行ってみたら」と勧められて本場に飛んだ。17年前。頭をハンマーで殴られたようなショックを受けた。

※記虎監督 ラグビーに笑顔があるんだと初めて知った。向こうは小さい子供からお年寄りまで楽しんでやっている。目からうろこが落ちました。自分がやってきたことは何やったんやろう? と考えさせられた。

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かつては世界に歯が立たなかった、日本ラグビーの躍進にもつながるかもしれない。「世界流」をいち早く、高校ラグビーに取り入れた指導者でもあった。

記虎監督 昔はスパルタで有無を言わさずでした。ニュージーランドで個人の考えを優先させる教えに触れた。一緒に練習していても、いろんな発想がわいてくる。固定観念が吹き飛んだ感じでした。センスだけに頼っていては薄い組織しか生まれない。行動からしっかり見極めていけば、持てる力以上のものを発揮できることに気づいた。

今年の花園は100回の大きな節目を迎えた記念大会だが、コロナ禍で通常とは違う。

記虎氏 非常に残念ですね。せっかくの記念大会なのに。ただ、こういう状況下でラグビーをやれることは、関係者を含めて喜ばしいことです。頂点はみんなが目指すもの。そこにたどり着くのは1年、1年の積み重ねでもあります。その思いを今年はどのチームが最も強く表現するのか。楽しみに見守りたいです。【取材・構成=実藤健一】

◆高校ラグビーの連覇 <1>5連覇=同志社中 1919年~23年<2>4連覇=啓光学園 2001年~04年<3>3連覇=同志社中 1925年~27、28年(26年は中止)、旧京城師範 30年~32年、東福岡 09年~11年(10年は桐蔭学園と両校優勝)。

◆記虎敏和(きとら・としかず)1952年(昭27)4月28日、大阪府枚方市生まれ。啓光学園(現・常翔啓光学園)から天理大を経て80年から母校の体育科教員。82年からラグビー部監督に就任し、花園で優勝6回(総監督として1回)。04年から龍谷大監督。16年5月から昨年度まで女子ラグビーの三重「PEARLS」で監督。現在も三重県ラグビーのアドバイザーを務める。13年から枚方市教育委員会教育委員長を歴任し、枚方ラグビースクールでも指導を行う。