ラグビー元日本代表で、指導者としても京都・伏見工(現京都工学院)を高校日本一に導いた「泣き虫先生」こと山口良治(やまぐち・よしはる)さんが29日午前8時13分、脳梗塞(こうそく)のため京都市内の病院で亡くなった。83歳。同校の監督、総監督として全国高校大会で優勝4度。ドラマや映画で爆発的な人気を博した「スクール☆ウォーズ」のモデルにもなった。
1943年(昭18)2月15日に福井県美浜町で生まれた。中学までは野球部。若狭農林(現若狭東)高でラグビーを始め、日体大でフランカーやキッカーとして活躍した。日本代表に選ばれ、計13キャップ。岐阜県の教員をへて京都市役所でプレーしていた71年に、発祥のイングランド相手に3-6の大善戦を演じた親善試合(秩父宮)で唯一の得点となるPGを決めた。
引退後の74年に伏見工高の保健体育科教諭として着任し、翌75年からラグビー部の監督。初の公式戦は同年5月17日で、強豪の花園高に挑んで0-112の大敗を喫した。目標もなく、悔しい様子すら見せず、ヘラヘラしていた部員を山口さんは殴りつけた。1人ずつ。
「痛みは3日で消える。だが、この悔しさは一生忘れるな」
ドラマ「スクール☆ウォーズ」では、主演の山下真司が涙ながらに「俺はこれからお前たちを殴る」と描かれた名場面だ。屈辱を糧に練習を重ねた伏見工は1年後の76年6月5日、京都府大会で決勝まで勝ち進んで花園に18-12で雪辱。わずか1年で112点差を逆転するリベンジ劇あった。
この時の山口さんとラグビー部を、ノンフィクション作家の馬場信浩が「落ちこぼれ軍団の奇跡」として81年に光文社から刊行。これが3年後に始まるドラマの原作になった。
現実のチームは山口さんの監督就任後、わずか6年目にして全国優勝。初出場から2年連続2度目の出場だった無名校が、後に神戸製鋼や日本代表で名をはせるスタンドオフ(SO)平尾誠二さんを擁した80年度に、決勝で大工大(現常翔学園)高を破って出場53校の頂点に立った。その際、泣きじゃくって胴上げされる山口さんが話題となり、ドラマも相まって「泣き虫先生」の愛称で知られた。
部訓には「信は力なり」を掲げ、自身で体現。91年に脳腫瘍(しゅよう)を患いながら、現場復帰を信じて闘い、再起した後の92年度に2度目の日本一へ導いた。その際、生死の境をさまよう中で部員にビデオメッセージを届けた逸話もある。
98年に総監督となった後は、初優勝時に平尾さんとハーフ団を形成していたスクラムハーフ(SH)で教え子の高崎利明監督をサポート。00年度と05年度の全国制覇にも情熱を注いだ。現在は京都市教育委員会の学校指導課と教職員指導課で参与として活動する高崎氏とは、亡くなる2週間前にも食事していたという。
育てた日本代表選手には平尾、大八木淳史、田中史朗、松田力也たちがいる。
勇退後は京都市に出向。京都アクアリーナの館長を務めて02年にフィギュアスケートのNHK杯を初めて招致するなど多方面でスポーツ界の発展に尽力した。
関係者によると、近年の山口さんは歩行に苦労する様子こそあったが元気で、前夜も普段通りに寝入っていたという。葬儀は近親者で行う。


