3歳から乗馬を始め、最年少記録の16歳で東日本障害飛越に優勝した。94年に富川高を休学し、フランスへ長期留学。日本代表として史上最年少19歳で出場した96年アトランタ大会障害飛越38位、連続出場の00年シドニー大会は同37位だった。03年に約9年間のフランス留学から帰国し、04年に競走馬の生産、育成を手がける実家の白井牧場代表となった。

育てる立場になっても手腕を発揮。13年には、G2セントウルSなど短距離重賞で3勝を挙げたハクサンムーンなどを育てた。またユニークな命名で話題もつくった。日本ハム大谷翔平(現エンゼルス)が二刀流フィーバーを巻き起こすと、13年にホッカイドウ競馬に入厩した馬に、ニトウリュウと名付けデビューさせた。

競技への情熱も消えてはいない。18年には福井国体に出場。現在も生産、育成のかたわら、北海道乗馬連盟主催の競技会に出場している。「今年は競走馬を引退した馬のセカンドキャリアとして、乗馬の訓練をして競技会に出場させたい」と意気込んでいる。