女性問題による2カ月半の活動停止が明けた瀬戸大也(26=TEAM DAIYA)が、復帰レースでいきなり優勝した。

9月13日埼玉屋外AG大会以来144日ぶりのレース。予選は4分14秒98の全体2位、決勝は4分12秒57とタイムを上げ、ライバル萩野公介(26)に先勝した。女性問題発覚後初の試合で、自らの行動を謝罪して、目標に掲げる東京オリンピック(五輪)金メダルに向けて出直しを誓った。

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決勝の入場口で、深々と一礼した。「去年の軽率な行動でたくさんの方に迷惑をかけて、おわびの気持ちと泳げる感謝の気持ちがあった」。5カ月ぶりの出直しレース。最初のバタフライから先頭に立って、そのまま優勝。「自分を見てもらえるのは競泳しかない。競泳の競技で恩返ししたいと思った。引退(の選択肢)はありませんでした」。

昨年9月に女性問題が発覚。日本水連からの年内活動停止処分を受けた。活動停止中は練習も思うにまかせず、5キロ増の体重81キロまで太った。この日は3度の取材機会でまず頭を下げて「申し訳ありませんでした」と謝罪を繰り返した。「恵まれた環境を勘違いしていた。情けない気持ち」。

問題が発覚した昨秋。妻の優佳さんと話し合いを重ねた。妻に「また競技者としても、人としても、成長する姿を見せていきたい」と訴えた。「できるところはサポートするよ」と言われて「こんな自分でも。ありがたい」。まだ手にしていない五輪金メダルが、出直しの支えでもあった。

停止期間は、地元の埼玉も含めて、プールを回った。トップ選手が集う国立スポーツ科学センターも利用できない。通い慣れた東京辰巳国際水泳場も事前に予約して、通常の利用料金を払った。偶然、居合わせた健康目的の一般客に「泳ぐコツを教えて」とせがまれて、アドバイスした。泳ぐこと、泳ぐ人を見ること、水泳に没頭すること。多くを失ったが、あらためて、思い出したこともあった。

予選で同組だった萩野とは「頑張ろうぜ」とグータッチを交わした。「それだけで刺激がもらえる。また一緒に世界の舞台で戦いたい」。浦コーチは「7割、戻っている」。目標の4分10秒台に届かなかったが「1日1日を大切にして次はもっともっといい記録で泳ぎたい」と出直しの1歩を踏み出した。【益田一弘】

 

萩野と瀬戸の道のり

◆16年 リオデジャネイロ五輪400メートル個人メドレーで萩野が金、瀬戸が銅。

◆17年 世界選手権で、萩野は200メートル個人メドレー銀メダル。瀬戸は200メートルバタフライ、400メートル個人メドレーでともに銅。

◆18年 萩野は年明けに入院。医者から「動いたら死ぬ」と言われる。ジャカルタ・アジア大会は個人で金メダルなし。瀬戸は同大会で金メダル2を獲得。

◆19年 萩野は3月にモチベーション低下を理由に3カ月休養。日本選手権を欠場した。瀬戸は、夏の世界選手権で200メートル、400メートルの個人メドレー2冠=東京五輪代表に2種目で内定。200メートルバタフライでも銀と1大会メダル3個。

◆20年 東京五輪が延期。萩野は、6月に「もし東京五輪がきていたら、ちょっと厳しかった」。秋には国際競泳リーグ(ISL)で400メートル個人メドレー5連勝して復調傾向。12月の日本選手権で個人メドレー2冠を達成。瀬戸は、五輪延期に「喪失感で抜け殻になりました」。9月に女性問題が報じられて、ANAとの所属契約が解除された。日本水連から「年内活動停止」の処分を受ける。

 

瀬戸大也の女性問題経過

◆昨年9月23日 「デイリー新潮」で女性問題が報じられる。

◆同24日 マネジメント会社を通じて「本当に申し訳ありませんでした」と謝罪のコメントを発表。

◆同30日 ANAから所属契約を解除される。また日本オリンピック委員会「シンボルアスリート」と、東京五輪競泳日本代表主将の辞退を申し入れる。

◆同10月2日 「味の素」から広告出演契約を解除される。

◆同6日 日本水連の常務理事会で日本代表主将辞退と、日本短水路選手権の出場辞退を了承される。

◆同12日 都内の日本水連で約1時間、倫理委員会の事情聴取を受ける。

◆同13日 日本水連が「年内の活動停止」などの処分を下す。

◆21年1月1日 活動停止の処分が明ける。

◆同8日 復帰レースとしてジャパン・オープンで3種目にエントリー。所属登録は「TEAM DAIYA」として再出発。

◆同11日 マネジメント会社の公式HPで「昨年は、私の行動で多くの方々にご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした。処分中に家族、水泳連盟、JOC、その他たくさんの方々とお話をさせていただき、自分を振り返ることで、いかに自分が恵まれた環境にいて、身勝手な考えをしていたかを痛感しました」と謝罪のコメントを発表。