「3・11」を忘れない。ラグビーのトップチャレンジリーグ(TCL)に所属する釜石シーウェイブス(SW)は、津波で甚大な被害を受けた岩手県釜石市に本拠地を置く。前身の新日鉄釜石はかつて日本選手権V7を達成し、その強さから「北の鉄人」と呼ばれた。36年たった今も「ラグビーの町」と地元からは根強い人気を誇る。東日本大震災から節目の10年-。被災地のクラブチームとして、震災当時を知る2人は何を思うのか。桜庭吉彦ゼネラルマネジャー(GM、54)と高橋善幸シニアアドバイザー(SA、56)がこの10年間の歩み、今季の抱負を語った。【取材・構成=佐藤究】

   ◇   ◇   ◇

記憶から消えることはない。2011年3月11日、午後2時46分。当時GMの高橋SAが勤務する会社は、震度6弱の地震に見舞われた。「ただごとではない」。立つことすらできない激しい横揺れ。この日は選手との契約交渉を予定していたが、それどころではなく、安否確認を急いだ。連絡はつながらず、津波は会社近くまで押し寄せた。JR釜石駅前の道路は1メートル以上の浸水。乗用車が水面に浮いていた。「考えられない光景だった」。翌日に選手、スタッフ全員の生存は確認できた。

チームは活動休止。勤め先の復旧作業に追われた。「チームの活動はどうなるのか。この状況で活動していいのか」。高橋SAは思い悩んでいた。そんな時、地域の声が後押しした。町のボランティア活動を行う選手たちに、「ラグビーの練習はしているのか? もう1回頑張って、強くなれ!」。地震から約2カ月後に練習再開。選手に芽生えたのは「チームとしてやろう。ラグビーで釜石に元気を与える」だった。桜庭GMは「地域との結びつきは強かったけど、さらに地域のためにという気持ちが強くなった。試合を通しても市民の思いを感じるようになった」。

ホームの釜石鵜住居(うのすまい)スタジアムは、震災後に建設され、復興のシンボルと位置づけられる。19年にはラグビーワールドカップ(W杯)の舞台となり、フィジー対ウルグアイ戦での観衆は1万4025人。85年に日本選手権V7を達成した新日鉄釜石時代からの伝統で、地元を象徴とする富来旗(ふらいき)と呼ばれる大漁旗がスタンドを埋め尽くした。8年前には想像もできない光景で、桜庭GMは「みんなで成功させようとの思いだった」。町全体でスクラムを組みながら、難局を乗り越え、実現したのだ。

この10年を2人はこう振り返る。

桜庭GM W杯を含めて、いろいろな出来事があった。早かったなという印象。釜石の象徴として、チームはさらに発展していかないといけない。

高橋SA 道のりは過ぎてしまえば早い。震災当時を思い出すと、あっという間で、つい最近のように感じる。でも、復興の1つ1つを見ると、とても長いように感じる。

来年1月には新リーグが開幕する。6月にその概要が発表される。桜庭GMは「どのディビジョンで戦うかは決まっていない。立ち位置とすれば、上のレベルを目指したい」。そのためにも今季の成績が大きなカギを握る。目標はTCLで2位以上。プレーオフトーナメントに進出し、トップリーグチームに勝利することを掲げた。

すでに2月13日にTCLは開幕し、栗田工業に35-24で勝利。21年を白星スタートで飾った。桜庭GMは言う。

「節目の10年だけではなくコロナがあり、世の中が混沌(こんとん)とした状況の中で、ラグビーの価値であるみんなで力を合わせて結束するプレーを見せることが地域の発展にもつながる。まずは強さを見せて、結果にこだわる」。

釜石SWは地域とともに、「ラグビーの町」に希望の灯をつないでいく。