24日に53歳で死去した92年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダルの古賀稔彦さんの通夜が28日、川崎市内の寺院で営まれた。

全日本柔道連盟の山下泰裕会長(63)や五輪で4個の金メダルを獲得した競泳の北島康介氏(38)ら約3000人が参列した。

展示スペースには、柔道着や金メダル、家族写真などのほか、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長からの異例の追悼メッセージもあった。25日付で「古賀家の皆さま」と題し、サイン付きでこう記されていた。

「このたび、古賀稔彦さんが亡くなられたことを知り、大変残念に思っています。国際オリンピック委員会を代表して、古賀さんとご家族の皆さまに心より哀悼の意を表します。この悲しみの瞬間に言葉で慰めることはできませんが、オリンピックコミュニティーがご家族と一緒になって、このような偉大なアスリートの死を悼んでいることが慰めになることを願っています。彼が20年に開催される東京オリンピックの聖火リレーに参加する予定だったことを考えると、彼の情熱はより一層悲劇的なものとなります。この困難な時期に、私の思いはあなたとあなたのご家族とともにあります。心よりお悔やみ申し上げます」

古賀さんは最期まで柔道家らしく、白の道着に身をまとい、黒帯を締めて棺(ひつぎ)に納まった。遺影は同五輪決勝で勝利した瞬間の写真など計3点が使われた。戒名は「金剛院献柔稔制大居士」(こんごういんけんじゅうねんせいだいこじ)。中量級で90年全日本選手権準優勝など柔よく剛を制すから「剛」「柔」「制」。金メダルの「金」、名前から「稔」を取り、「日本柔道に貢献された」との意味がある。

葬儀・告別式は29日に営まれる。