先月28日に幕を閉じたフィギュアスケート世界選手権(ストックホルム)で、鍵山優真(星槎国際高横浜)が日本男子史上最年少の17歳で銀メダルに輝いた。

ショートプログラム(SP)で初の100点超えに、フリーも自己ベストを大きく更新。シニア転向1年目にして、いきなり世界歴代4位の合計291・77点を記録した。傍らには、五輪2大会出場の父正和コーチ(49)。喜びを爆発させ、思わず抱き合いそうになったが、こらえて握手した。

1枚の写真がある。開催地スウェーデンから帰国する際の空港で、息子が、父の座った車いすを搭乗ゲートへ押す後ろ姿だ。正和コーチは18年6月に脳出血で倒れて以来、まだリハビリを続けている状態にある。

振り返れば、優真はスケートを始めた5歳から父の教えを受けてきた。92年アルベールビル、94年リレハンメル五輪出場の「2世」も、幼少時は結果が出ず。焦りはなかったが、15歳で初めて日本代表に選ばれた時は素直にうれしかった。

直後、父が緊急入院。一命は取り留めたが、初のジュニアグランプリ(GP)シリーズ出場となった3カ月後のカナダ大会には同行できなくなった。優真は病床から指示を受け、時には病院と練習リンクを往復する不安な日々を送る。同年末の全日本選手権初出場も父の姿はなかった。リハビリは続き、20年1月に金メダルを獲得した冬季ユース五輪や同2月の4大陸選手権3位など、海外の晴れ舞台には立ち会えなかった。

ついに実現した2人の渡航。「ずっと一緒に行きたかった。すごくうれしい」と優真が言えば、正和氏も愛息のために腹を決めた。まだ患う前のような歩行は困難だが、車いすを使ってでも同行する、と。コロナ禍で従来より厳しい使用申請を、日本スケート連盟が航空各社と交渉し、まとめたことも後押しになった。

結果は銀。表彰式の後も「前から一緒に目指してきた舞台に立つことができて、うれしかった」と同じ言葉を選んだ優真は「父も、喜んでくれました」と続けた。尊敬と感謝を込めて車いすを押し、二人三脚で進む姿を写真が表していた。

目の前で父を超える恩返し。かつて優真は「最も記憶に残っている父の演技は幕張のワールド」と語ったことがある。94年の世界選手権(千葉)で、正和氏が自己最高の6位を最後に引退した試合だ。息子はシニア1年目で超えてみせた。親子鷹の歩みは1つの結実を見た。だが、通過点だ。優真は「頑張ったね」とねぎらわれたが、すぐ「ここがスタート地点だよ」と言われ、うなずいた。22年北京五輪で金メダルへ-。鍵山父子の絆が何かを起こすと信じている。【木下淳】