練習時間も残りわずか。報道席から引き揚げようと準備していた体を止めた。明らかに大きく、アクセル(1回転半ジャンプ)を何度も跳ぶ羽生。そして、意を決したかのように勢いよく跳び、激しく転倒。明らかに見慣れない回転数だった。ざわめく会場。1本、2本、そして3本。突如訪れた数分間の羽生劇場。すべて転倒も、前人未到のクワッドアクセル(4回転半)の挑戦に心が躍った。

22年北京五輪のフリーでは転倒するも、ISU公認大会で初の認定となったクワッドアクセル。公の場での初披露は、19年GPファイナルでのフリーを翌日に控えた公式練習中だった。憧れのプルシェンコ氏(ロシア)が06年トリノ五輪で金メダルを獲得した時と同じ、イタリア・トリノのパラベラ競技場での大会。ブライアン・ジスランコーチがトラブルで現地入りが遅れ、“ストッパー役”が会場にいなかったことも跳ぶきっかけとなった。

「この特別な舞台で何かしら残したい。何かを残さないといけない使命感がすごくあった」。体への負担が大きいのは重々理解した上で、思うがままに跳んだジャンプだった。

結局、フリー当日では跳ばなかったが、いよいよ完成間近かと思わせてくれる挑戦だった。「4回転半は王様のジャンプ」と規格外の発言力もそうだが、約2年半後の北京五輪では初認定されるなど、実行力もトップ・オブ・アスリートの1人だった。(敬称略)【19年担当=佐々木隆史】