スピードスケート女子の18年平昌オリンピック(五輪)500メートル金メダリストで、現役ラストレースとなった全日本距離別選手権(22日、長野)を優勝で飾った小平奈緒さん(36=相沢病院)が27日、都内ホテルで引退会見を開いた。

「氷上の詩人」の異名を取った通り、選手として最後の会見では数々の印象的な言葉を残した。

-引退後、してみたいことは

「山に登ってみたい。地元の八ヶ岳に、まず登ってみたいなと思っています。あとは語学にも興味があるので、グローバルに活躍していきたい」

-ラストレースを終えて数日たった

「山あり谷あり、ジェットコースターのような競技人生でした。多くの人に支えていただいて、1度も後ろを振り向くことなく、前を向いて歩いてこられたなと。私の全てを表現できました。ここ数日間は、珍しく普段しない夜更かしを。皆さんからのメッセージを見ていて、ちょっと寝不足です。またリズムを戻していきたい」

-(尊敬する98年長野五輪の金メダリスト清水宏保氏が会場で直接質問)いつもより緊張している

「宏保さんがいらっしゃるので(笑い)。小学校5年生の冬、宏保さんが先日に近い舞台、道を築いてくださったから今がある。あと、いつも会見では隣に結城先生(匡啓コーチ)がいらっしゃるので、そこも緊張しています」

-(清水氏から)最後は完璧なレースだった。ラスト50メートル、表情が緩んだように見えた。無邪気な子供のような

「私も、最後のストレートはすごく記憶に残っていて。ただゴールテープに飛び込むんだ、自由だ、と。勝つんだ、いい記録を出すんだ、ということとか何にも縛られずに、スケートを滑り出してすぐのような気持ちで最後、滑れました」

-(清水氏から)三十数秒間に、どのような思いを込めているのか

「無限の学びが含まれている。果てしなく追求できる時間かな、と。内からの好奇心をかき立ててくれるので。客観的に見ると長く感じるんですけど、打ち込んでいる瞬間は短くて、夢中になっているのかなと。つらかったことは、ないと言えばうそになるんですけど、先日の1日で全てキレイになりました」

-目指してきたものは

「順位や記録という目標はあったんですが、それは1つの手段に過ぎなくて。目的には必ず『唯一無二の自己表現』というものがありました。それは人と比べようがないし、自分の生きる軸として揺るがないものとしてある。その表現はスピードスケートを通して全うできたのかな」

-結城コーチのダメ出しから始まった

「大学1年の時に『滑りを変えないと世界はないよ』と言ってくださって。インターハイの優勝者とか、普通はプライドが傷つくと思うんですけど、私はスケートを変えたくて信州大に入ったので、むしろ喜んで受け入れました」

-エムウェーブで再び練習したと

「朝練習ですね。昨日だったか一昨日だったか、午前6時から8時まで学生たちと。もう調整する必要がなくなったので、何時間でも、何本でも滑っていいんだという気持ちでした」

-どのような立場で

「いち、生涯スポーツを楽しむ市民、としてですかね」

-ソチ五輪の前後に「絆創膏(ばんそうこう)」には「創」の文字があると

「当時は特に傷ついていたので、全てを前向きに見ていた時期だったと思います。いいようにとらえていましたた。これ以上、傷つかないように。傷を保護した時だったんですかね、ちょうど創造、創り出すことに目が向いていた時期。そこで、ちょうど絆創膏があったんですかね。先を創り上げるという思いでした」

-信州大の特任教授として、やっていきたいことは

「1つ、まとめる。という作業をやってみたい。18歳で進学してから、ノートに技術を書きためたり、技術について議論する練習メニューがあって、それを1度、まとめたい。結城先生や後輩たち、未来のスケーターに役立つものを作れたら。18年間のものがあるので時間はかかりますが」

-11月23日にナオアイスオーバル(国際スケートセンター)で開くイベントとは

「地元の長野県茅野市にあるリンクで、約200人の小中学生と滑りたいなと思っています。まだ氷が張るか半々の時期ですが、楽しみにしたい」

-選手登録は

「終わりになります。でも、まだ今季は滑ってもいいですか(笑い)。大会とかには出ません」

-節制していた中、食べたいもの、食べたものは

「久々に実家へ帰って母と、いろりで(信州名産)おやきを食べました。現役時代は小麦粉…パンとか体質的に食べなかったので」

【木下淳】スピードスケート女子の18年平昌オリンピック(五輪)500メートル金メダリストで、現役ラストレースとなった全日本距離別選手権(22日、長野)を優勝で飾った小平奈緒さん(36=相沢病院)が27日、都内ホテルで引退会見を開いた。

「氷上の詩人」の異名を取った通り、選手として最後の会見では数々の印象的な言葉を残した。

-引退後、してみたいことは

「山に登ってみたい。地元の八ヶ岳に、まず登ってみたいなと思っています。あとは語学にも興味があるので、グローバルに活躍していきたい」

-ラストレースを終えて数日たった

「山あり谷あり、ジェットコースターのような競技人生でした。多くの人に支えていただいて、1度も後ろを振り向くことなく、前を向いて歩いてこられたなと。私の全てを表現できました。ここ数日間は、珍しく普段しない夜更かしを。皆さんからのメッセージを見ていて、ちょっと寝不足です。またリズムを戻していきたい」

-(尊敬する98年長野五輪の金メダリスト清水宏保氏が会場で直接質問)いつもより緊張している

「宏保さんがいらっしゃるので(笑い)。小学校5年生の冬、宏保さんが先日に近い舞台、道を築いてくださったから今がある。あと、いつも会見では隣に結城先生(匡啓コーチ)がいらっしゃるので、そこも緊張しています」

-(清水氏から)最後は完璧なレースだった。ラスト50メートル、表情が緩んだように見えた。無邪気な子供のような

「私も、最後のストレートはすごく記憶に残っていて。ただゴールテープに飛び込むんだ、自由だ、と。勝つんだ、いい記録を出すんだ、ということとか何にも縛られずに、スケートを滑り出してすぐのような気持ちで最後、滑れました」

-(清水氏から)三十数秒間に、どのような思いを込めているのか

「無限の学びが含まれている。果てしなく追求できる時間かな、と。内からの好奇心をかき立ててくれるので。客観的に見ると長く感じるんですけど、打ち込んでいる瞬間は短くて、夢中になっているのかなと。つらかったことは、ないと言えばうそになるんですけど、先日の1日で全てキレイになりました」

-目指してきたものは

「順位や記録という目標はあったんですが、それは1つの手段に過ぎなくて。目的には必ず『唯一無二の自己表現』というものがありました。それは人と比べようがないし、自分の生きる軸として揺るがないものとしてある。その表現はスピードスケートを通して全うできたのかな」

-結城コーチのダメ出しから始まった

「大学1年の時に『滑りを変えないと世界はないよ』と言ってくださって。インターハイの優勝者とか、普通はプライドが傷つくと思うんですけど、私はスケートを変えたくて信州大に入ったので、むしろ喜んで受け入れました」

-エムウェーブで再び練習したと

「朝練習ですね。昨日だったか一昨日だったか、午前6時から8時まで学生たちと。もう調整する必要がなくなったので、何時間でも、何本でも滑っていいんだという気持ちでした」

-どのような立場で

「いち、生涯スポーツを楽しむ市民、としてですかね」

-ソチ五輪の前後に「絆創膏(ばんそうこう)」には「創」の文字があると

「当時は特に傷ついていたので、全てを前向きに見ていた時期だったと思います。いいようにとらえていましたた。これ以上、傷つかないように。傷を保護した時だったんですかね、ちょうど創造、創り出すことに目が向いていた時期。そこで、ちょうど絆創膏があったんですかね。先を創り上げるという思いでした」

-信州大の特任教授として、やっていきたいことは

「1つ、まとめる。という作業をやってみたい。18歳で進学してから、ノートに技術を書きためたり、技術について議論する練習メニューがあって、それを1度、まとめたい。結城先生や後輩たち、未来のスケーターに役立つものを作れたら。18年間のものがあるので時間はかかりますが」

-11月23日にナオアイスオーバル(国際スケートセンター)で開くイベントとは

「地元の長野県茅野市にあるリンクで、約200人の小中学生と滑りたいなと思っています。まだ氷が張るか半々の時期ですが、楽しみにしたい」

-選手登録は

「終わりになります。でも、まだ今季は滑ってもいいですか(笑い)。大会とかには出ません」

-節制していた中、食べたいもの、食べたものは

「久々に実家へ帰って母と、いろりで(信州名産)おやきを食べました。現役時代は小麦粉…パンとか体質的に食べなかったので」

【木下淳】