東福岡が6大会ぶり7度目の優勝を飾り、報徳学園の史上4校目3冠を阻止した。

試合後、目に涙を浮かべた藤田雄一郎監督(50)は「5年の壁は大きく、彼らも3年間地道にできることを、自分をコントロールしながら高校生活、ラグビーを続けて来た。すごい3年生です」と選手をたたえた。

前半0分、キックチャージから右につないで、WTB上嶋友也(3年)が先制トライ。同12分、相手ラインアウトを奪い、左にテンポ良くワイド展開して、FB石原幹士(3年)が連続トライを決めた。だが、報徳学園も負けてはいない。同22分、NO8石橋チューカ(3年)のキックチャージから左につないで、CTB炭竃柚斗(3年)が飛び込み1トライを返した。

前半は東福岡リードの12-7で折り返した。報徳学園は後半2分、PGを決めて2点差。だが、東福岡は同10分、右ラインアウトからのキックパスがつながり、CTB西柊太郎(3年)がトライするなど、怒濤(どとう)のトライ量産でリードを広げた。

誰もが認める強豪が1年と2日前、変革を迫られた。藤田雄一郎監督がスローガンに「覚悟」を掲げ、5大会連続で進んだ1月5日の準決勝で5連敗となった。高校日本代表候補が10人いた。「あれだけの選手をそろえて勝てなかった」というショック。監督、コーチらスタッフの話し合いは1つの結論に達した。「戦い方を直さないといけない。ノックアウト・トーナメントに勝つには得点が必要だけど、取られないことも大事だから」。当たり前の話だ。しかし、東福岡には大転換だった。

「アタック」を代名詞に、花園を支配した。安易に蹴らない。球を渡さない。自陣からでも強く、速く、縦横無尽に球を動かし、ねじ伏せる-。スペクタクルなスタイルで07年度から16年度のわずか9大会で6度も優勝した。

攻守における練習の割合を逆転させ、7~8割をディフェンスに充てた。合言葉は「ボールを持っていない時、ハッピーになろう」。キックでエリアをとり、敵陣に入り、相手に球を持たせて勝負する。強靱(きょうじん)なフィジカルを持つ個々が1対1、組織的な守りで押し込み、優位なエリアで球を奪い、そこでアタックに転じる。

現チームも高校日本代表候補は8人いた。アタック重視のスタイルでも頂点は狙えたかもしれない。藤田監督も「アグレッシブなアタックが彼らのアイデンティティーに変わりはない」という。その上で「嫌なことをさせた」。派手さがなく、つらいスタイルだが、現3年にはハマった。「入学した時から、そういう雰囲気を持っていた」と同監督が言う世代は最も堅実な勝ち方を1年間、黙々と求めた。

報徳学園はコロナ禍で辞退した3月選抜決勝の相手。7月7人制決勝で敗れた相手。交流戦を長年続ける相手。同代表候補が同じ8人もいる宿敵でいて好敵手。そして花園で初対戦。何より全国屈指のアタックを誇るチームカラー。「僕たちはキックでボールを渡して、守備で奪ってスコアする。そのスタイルはどこが相手でも変えません」とフランカー大川虎拓郎主将(3年)が言い切るスタイルを完成させるには、うってつけだった。

◆東福岡 1945年(昭20)に前身の福岡米語義塾として創立し、55年から現校名の私立男子校(普通科)。生徒数2000人超。ラグビー部は55年創部で部員143人。花園は優勝7度、準優勝3度。主な卒業生にラグビー藤田慶和、プロ野球村田修一、吉村裕基、サッカー長友佑都ら。サッカー、硬式野球、バレーボール部も強豪。所在地は福岡市博多区東比恵2の24の1。松原功校長。

<東福岡の記録>

▼決勝戦の41点 同志社中(28年度・41-0早実)に並ぶ歴代4位の高得点。1位東福岡(14年度・57-5御所実)2位大工大高(現常翔学園、95年度・50-10秋田工)同啓光学園(現常翔啓光学園、01年度・50-17東福岡)。

▼選手交代なし 東福岡は決勝を先発15人だけで戦った。戦術的交代が常識の近年では珍しく、今大会全50試合で準々決勝の天理(8-5長崎北陽台)3回戦の中部大春日丘(8-9佐賀工)1回戦の大津緑洋(15-7富山第一)加治木工(7-0若狭東)城東(24-26倉敷)と登録15人の倉吉東(0-66高鍋)を含む7例目。

 

◆高校3冠 同一年度に春の選抜大会、夏の7人制大会、冬の全国高校ラグビー大会の3大会で優勝すること。過去は14年度、16年度に東福岡が、15年度に東海大大阪仰星が、20年度に桐蔭学園(神奈川)が達成している。