この大会を21年まで2連覇していた丸山城志郎(29=ミキハウス)が、決勝で東京オリンピック(五輪)金メダリストの阿部一二三(25=パーク24)に反則負け(指導3)し、通算3度目の優勝を逃した。

直接対決4連敗中で後がない中、大会2連覇を狙うライバルを攻め切れず。延長戦に入って計10分14秒、自身に3つ目の指導がきて信じられない表情を浮かべる。11度目の対戦で4勝7敗と負け越し、目指す24年パリ五輪への道が険しくなった。

決勝までは着実に勝ち進んだ。初戦の2回戦から一本勝ちを重ね、準々決勝では16年リオ五輪銀メダルの安バウル(韓国)に勝利。準決勝ではモンゴル選手をゴールデンスコア(GS)による延長戦の末、退けていた。取りこぼしなくファイナル切符をつかんだ一方、疲労が蓄積していた様子だったが、大一番では力の限りを尽くした。

丸山は20年12月、東京五輪代表の座を懸けて阿部と日本柔道史上初のワンマッチで対戦。「令和の巌流島決戦」と呼ばれた24分間の勝負で、最後に力尽きた。

その後もパリ五輪切符を争い、ライバル関係は続いた。昨年4月の全日本選抜体重別選手権(福岡)と同10月の世界選手権タシケント大会(ウズベキスタン)の決勝で連敗。しかも後者は規定の4分以内に小外掛けで技ありを奪われ、延長戦に突入することなく敗れていた。大会前まで、対阿部戦4連敗、通算成績も4勝6敗と負け越していた。

背水の陣へ「持っている技術を全て出して、後悔のないように戦いたい」と覚悟を決めていた。「内容はどうでもいい。勝ちにこだわりたい」。歩んできた美しい柔の道を、持ち前の哲学を、一時封印してでも結果をつかみにいった。

内股、ともえ投げ、逆の一本背負いなど仕掛けたもののポイントは奪えず、最後は指導の差で急に熱戦の幕を閉じられた。

全日本柔道連盟が3月に強化システムを改定したことで、早ければ来月にもパリ五輪代表が内定する。この中東ドーハの地で阿部に2年連続4度目の制覇を許せば、決着がついてもおかしくない逆境で、踏みとどまれなかった。表彰式では誠実に銀メダルを受けていたが、その胸中、悔しさは計り知れない。【木下淳】