東京6大学野球リーグの立教大監督を務め、長嶋茂雄氏らを指導したことで知られる砂押邦信(すなおし・くにのぶ)氏が18日午後9時30分、腎臓がんのため川崎市宮前区の聖マリアンナ医大病院で死去した。87歳。茨城県出身。葬儀・告別式は23日午前10時半から東京都国分寺市西恋ケ窪1の39の5、東福寺で。喪主は妻益子(ますこ)さん。

 茨城・水戸商業学校(現水戸商高)から立教大に進み、1950年に27歳で野球部監督に就任。夜間でもボールが見えるよう石灰を塗ってノックを続ける「月夜の千本ノック」などの猛練習で53年春にチームを20年ぶりのリーグ優勝に導いた。

 54年には「立教の三羽ガラス」と呼ばれ、のちにプロ野球で活躍した長嶋茂雄、杉浦忠、本屋敷錦吾の3氏が入学。徹底した厳しい指導で立教大黄金時代の礎をつくった。55年に退任し、61年から2シーズン、プロ野球国鉄(現ヤクルト)の監督を務め、65年にもシーズン途中から再度指揮を執った。