日本で初めてのスクイズは、長野県で生まれた。明治39年、1906年10月16日、松本中(現松本深志)が上田中(現上田)戦で行ったと言われる。松本深志は明治29年、1896年に創部され、今年で123年目。県最古のチームが、まだ甲子園大会も始まっていない1906年に、画期的な作戦を成功させた。

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 NHK朝ドラ「ひよっこ」の撮影にも使われた厳かな校舎の一角。静かな図書館に、貴重な文献があった。すっかり茶色に変わっているものの、丁寧な保存に伝統校の誇りを感じさせる。「校友」と題した冊子の「第19号」に歴史的な瞬間が描かれていた。


 時既に藤沢二塁を陥れ軽身長駆して三塁に入りし武者振り敵味方の別ちなく地を打ち手を叩きて賞したり


 旧字体の文章は読むのもひと苦労だが、松本中が0-0の3回、2死三塁と先制のチャンスを迎え、スタンドは盛り上がっている。


 すはこの時なりと、はやる味方を後へに控へて現れたりし大沢早くも見てとる藤沢が合図の手振り、胸に蔵めてバット一振り閃めくと見るや巧妙なるヒットインラインのバンドを三塁になし見事藤沢を生還せしめたる手際天晴れなりけり


 この「ヒットインライン」こそ、日本初のスクイズの瞬間だった。

 同校の創部100年を記念し、97年に刊行された「野球部の一世紀」には、OBで1947年に甲子園に出場した萩元晴彦(故人)の寄稿がある。萩元はテレビのプロデューサーで、77年に日本初のスクイズについて番組を作った。当時オンエアされたOB小平乙蔵(故人)の談話も「野球部の一世紀」に掲載してある。小平は、記念すべき試合に3番二塁で出場していた。

 小平 とにかく第一球は絶対にやっちゃあいかん、と。第二球か第三球目でやる。で、バッターはサードにランナーがいるわけですから、いかにもヒットを打ってやるというゼスチャーをして、ワンボールかツーボールになったらパッとバッターボックスをはずすわけです。そのときのサインのキーが帽子。普通はまっすぐかぶっていますね。それを横向きにかぶるわけです。で、ピッチャーが投げると同時にランナーが走る。当時はスクイズなんてない時代でしょう。キャッチャーが捕ったときにはもう(ランナーは)そこまできている。あわてて尻餅をついてました。当然セーフ。ホームイン。そのときはラン・アンド・ヒットと僕ら言っておったが、いまのスクイズですよ。

 日本初のスクイズで、上田中の捕手を尻もちさせるほど驚かせてから112年。後輩は昨秋、県ベスト8に進出して、長野県のセンバツ21世紀枠の推薦校になった。昨夏の大会でも2年連続8強入りと、安定した好成績を残す。双子の右腕、小林綾(りょう)絃(げん)はともに140キロを超す本格派。エースの綾は最速148キロで、4月の練習試合ではプロのスカウトも視察に来る逸材だ。監督は5年目となる守屋光浩、42歳。高校野球の先駆けを果たした伝統について聞くと「スクイズ、嫌いなんですよね」。驚かせるのが伝統のようだ。(敬称略=つづく)

【金子航】


 ◆長野の夏甲子園 通算59勝93敗。優勝1回、凖V3回。最多出場=松商学園36回。


明治41年卒の鈴木雅次氏が書いたイラスト。スクイズの元祖と書かれている。「野球部の一世紀」より
明治41年卒の鈴木雅次氏が書いたイラスト。スクイズの元祖と書かれている。「野球部の一世紀」より