3塁側アルプス席では、約4000人のOBや島民たちが選手らに声援を送った。野球部OBで、広島から応援に駆けつけたという坂本永勝(えいしょう)さん(24=会社員)は「僕らの世代は3回戦負け。母校が甲子園に出場するなんて夢にも思っていなかった。結果は残念だが、よくやってくれた。また夏に甲子園に戻ってきてほしい」と感慨深げ。

 毎年夏の大会前には約1週間、選手たちが学校に泊まり込んで合宿を行い、全国から集まったOBがノックを打つ伝統があるといい「自分たちのノックを受けてくれた後輩たちが甲子園でプレーする姿を見られてうれしかった」と話した。

 島内には当時から大型スポーツ店がなく、野球用具は高松から用具メーカーの人たちが売りにきてくれた時に購入していたという。坂本さんは「マシンの部品が壊れても、高松まで買いにいかなきゃいけないような環境。毎週末、土曜の始発の船に乗って1泊2日で四国や中国、関西に遠征に出かけ、2日で4試合をこなしてきた経験が、甲子園出場にもつながったんだと思う」と、環境のハンディを克服して甲子園切符をつかんだ後輩たちに拍手を送った。