新潟が3年ぶりのベスト8進出を決めた。優勝候補筆頭で連覇を狙う日本文理に5-3。1回裏に3点を先制し、その後は追い上げに遭うが、3投手の継投で逃げ切った。1894年(明27)創部の県内最古参のチームが、100回記念大会で大きな1勝を刻んだ。準々決勝は21日、ハードオフ新潟で行われる。

 笑顔だった。そして全力だった。試合後の校歌斉唱を終えた新潟ナインは、跳び上がるほどの猛ダッシュで三塁側応援席に向かった。「丈夫(ますらお)魂ここにありです」。何事にも屈しない勇敢さが新潟の校風。それを体現した選手の戦いぶりに、後藤桂太監督(51)は男泣きした。

 昨夏も4回戦で日本文理と対戦し0-10の5回コールドで敗れたが、そのリベンジに成功。「準備してきたことは出し切った」。捕手の伊部達大主将(3年)は誇らしげに言う。握った主導権を離さなかった。1回裏、先頭の1番松永幸哉二塁手(3年)が右前打で出塁。その後、盗塁、四球、単打に相手失策、犠飛を絡めて3点を奪う。日本文理のエース鈴木裕太(3年)の出ばなをくじいた。

 3-2の6回裏は2死一、三塁から7番の伊部主将が右前適時打。4-3の8回裏は先頭打者の5番小野滉太右翼手(3年)が右翼にダメ押しのソロ。追い上げられては突き放し、リードを保った。

 「選手が情報を仕入れて対策を練っていた」と、後藤監督が言うように、日本文理戦に向け、選手が自主的に研究を重ねた。最速150キロの鈴木の速球を想定し、打撃練習ではマシンをプレートから3メートル前にし、球速を130キロに設定した。昼休みごとに選手が集まってビデオを繰り返し見た。その中で「自分たちの野球をやれば勝てる」(伊部主将)という確信を得た。

 3年ぶりの8強入りで準々決勝の会場はハードオフ新潟に移る。現メンバーにとっては初の“聖地”だ。「日本文理には勝った。でも、目標は優勝なので」と伊部主将。創部124年の夏、新潟ナインが本気で初の甲子園を視界に入れた。【斎藤慎一郎】